Photo: 「無敵の心身」
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本当に平和を好むなら戦争を知れ
友人の掲示板の書き込みを見ていて漠然とした思いしか浮かんで来ないのを歯痒く思っておりました。

しかし、一つ思い出した事は、幼い頃の私は戦争を知らない事は良い事だ、知らないから引き起こせるはずはないのだと信じて疑いもしなかったという事。
それに対して「本当に平和を好むなら戦争を知れ」という言葉を教えてくれた人がいました。
今の私ならそれもよく分かります。
無知であればあるほど洗脳されやすい、子供などは簡単に洗脳されてしまうでしょう。
それでも全ての子供がそうであるというわけではなく、中には「違和感を感じる」と、何処が如何とは言えないが何かがおかしいと思う子供もいるのですね。
私は友人やその友人の知り合い達と違い、恐らく洗脳されてしまう側の人間だったのでしょう。何も疑問に思わず全ての事をそのまま鵜呑みにしていた子供時代だったのだから。
私にとって幸運だったのは、周りに洗脳しようという大人がいなかった事と、私自身が他人と群れる事を好まなかった事だったのかもしれません。

今の私も己の頭できちんと考えているのか不安に感じる事があるのですが、何が正しく何が間違っているのか、自分なりによく考えながら生きていかなければならない、例えそれが誰かにとっての正しさでなかったとしても、それでも私は私自身を信じるしかないのだと思っています。
その為には様々な人の考えに触れたいですね。

ちなみにその掲示板ですが、このブログでもリンクをしている「新・柏原日記」の掲示板です。
掲示板で繰り広げられている話題ですので、時が経つと消えていきますが、今なら皆さんの書き込みを読む事が出来ますよ。361の記事です。
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子供の未来が危ない
人は生き返るのだと考える事は悪くはない。
問題なのは信じている子供が人は死んだら生き返らないと知っているかどうかだ。
生き返る事は自然に反していると理解しなければ子供達の未来は無い。
友人が溜息をつく気持ちがよく分かるね。
子供達には真実を見極める目と考える頭を持って欲しい。
淘汰
君の言う通りだ。私もそう思うよ。
神なのか悪魔なのか知らないがね。
天変地異は増え過ぎた人間を減らす為に起きるのだと。
減らされる人間に君も私も入ってなければいいがね。
だが、少なくとも私は真っ先に死にそうだ。(苦笑)
無知は罪とは言うが
先程読ませて頂いた日記に書いてあった事で思い出した。

パンが無ければケーキを食べればいいと言ったのはかのマリー・アントワネットだが、無知は罪だと簡単に言う者もいる。私もそのうちの一人ではあるのだが、別の考えも持っていたりする。

恐らく彼女は賢い人間ではなかったのだろう。
己で間違いに気付く事が出来る者はいいが、その間違いに気付かぬ人間は破滅していく。だから彼女は断頭台の露と消えたのだ。

もし、彼女に間違いを教える者がいたとしたらどうなっていただろう。
ほんの少しでも考える頭を彼女が持っていたとしたら、歴史は変わっていたかもしれない。だが、矢張り聞く耳を持たずに滅びていったのかもしれない。

それは誰にも分からない。

たとえば彼女が思いやりに目覚めて民衆にパンを与えたとして、彼女の運命は変わっただろうか。
私にはそうは思えない。
どんなに万人が認めて良かれと思う行為をしたとしても、それが最悪な結末に終わる事は今までにも何度も歴史で繰り返されて来た。

だから私は過去の愚かな人間たちに何も言うべき事はないと思っている。
何時でも問題なのは己自身なのだから。
最後まで立ち続けろ
私は言ったはずだ。
彼女を泣かせる者には容赦しないとな。
ならば何故彼女に近付いた?
確かに最初から別れを想定するなど出来ないことかもしれぬ。
だが近い未来別れるつもりであったのなら、最初から近付くな。
誰が許そうとも私が許さぬ。
彼女は泣いているよ。
誰なのか知らんが、そいつの事など忘れてしまえ。

私が居るよ。
私が抱きしめている。
私は君から去るものか。
君は現実の私を知っているからね。
私は君の前から去らない、絶対に。

そしてnさん、貴方にも言える事なのだよ。
別れる時が来ると分かっているのなら声をかけるべきではなかった。
不可抗力ならばそれも仕方なかろう。
だが、最初からそのつもりだったと言うなら、絶対に声はかけるべきじゃない。
貴方は声をかけてしまったのだから、最後まで立ち続けろ。
貴方が大切に思う人がたとえこのネットの世界から消えてしまっても、貴方は消えるな。
それが貴方の罰だよ。
忘れないで欲しいよ。
荒らしの効用
私のブログでもリンクをしている紫月さんという方の「毒な雑記帳」15日の記事を読みました。

荒らしが来たから文体が大人しくなったというのは私の知り合いの女性にもいます。
彼女が自由奔放に書いていた日記に「それはどういうことか」という説明を求める方が来ていました。
一見正義の味方のような感じの人でしたね。
彼女は散々諭されていましたが、相手の方はとても丁寧な意見を述べていました。
確かに彼女は考えなしの日記を書いていたと言われても仕方なかったかもしれません。
しかし、書かれていた物は一つの考えとして書いていたものであり、それほど酷い物を書いてはいなかったと思いますし、或いは誰かを傷付けようとはしていなかったということは、きちんと書かれた物を見る能力のある者ならばわかったはずです。
ただ、彼女の取り上げた物がタブーだったという事で、今まではどのような事を書いても容認されていたのが、これは許せない、忠告せねばならぬとなったのではないかと思われます。
彼女の文体もかなり攻撃的で断定的な文章でしたしね。

そう言えば、紫月さんが相手から「潰れてくれた方が嬉しい」という言葉を引き出せたという事を書かれていましたが、それを見てこの間友人の日記で見つけた言葉を思い出しました。

「2ちゃんには暗黙のルールがある。消えて欲しい日記は徹底的に叩き、時には相手の掲示板などに乗り込む」

これが本当に2ちゃんねるのルールなのかどうかは、私は2ちゃんねるに詳しい人間ではないのでわかりません。
ですが、確かにそういう傾向はあるみたいだなという事は感じています。
以前2ちゃんねるの掲示板で潰し専門のスレを眺めに行った事があり、そこからリンクされたサイトを見に行った事がありますが、徹底的にやられていました。
それを見ていたので、荒らしに遭った知り合いの女性の場合は、それほど心配するような出来事ではないなあと思いましたから。
それに、彼女の日記は「潰れて欲しい」と思われていたわけではないようでした。とある場所では「面白いから好きに書かせておけ」「手を出すな」というような声も聞きましたから。

それにしても、消えて欲しいという日記がどういう日記であるのかその辺の線引きは何処にあるのでしょう。
残したい日記、潰れて欲しい日記は一人一人違うと思うのですよ。
それは2ちゃんねるの住人でも皆が同じ基準ではないはずです。
私などはどのような日記でも潰れて欲しいとは思いません。
私がくだらないと思っていたとしても、或いはそのような危ない物を書いていたら悪用されるかもしれないと思っていても、消えるべきだとは思わないのです。
何時でも書く側よりも読む側に問題があるのだと私は思っています。

紫月さんも「SS書きの片手間に始めた事が、こんな大事になるなんて誰が想像しただろうか。」と書かれていましたが、知り合いの女性も同じような事を言っていたなと思い、少し可笑しく思いました。
彼女も紫月さん同様に文体は大人しくなったようですよ。
これも荒らしの齎した効用ですかね。
ですが、私個人は彼女の日記は大人しい文体だとつまらないと思っています。
彼女は友人に「最も人間らしい生き方をしている」と言われていました。私もそう思いますね。
他人から見れば見っとも無い「泣いて笑って怒って拗ねて」という感情をあからさまに見せ続ける、そういう彼女で有り続けて欲しいと私は思います。
これも読者の我儘であるのですが、そう願っております。
熱い人々
知り合いの女性のブログで見つけてきたのだが、他人のブログで自分の考えを長々と書く痛い人間は何処にでもいるものなのだな。

元の記事である少子化対策についての筆者の言いたい事は、私も共感を覚えたよ、全てというわけではないが。
少子化については、恐らく様々な要因が複雑に絡んでいると思うので、何が原因であるかは誰にも「こうである」とは決め付けられない。
ただ、国が打ち出す政策は、それは本当に少子化に歯止めがきくと思っているのか疑わしい物ばかりであると私は思っているよ。
私のように頭の悪い人間でも、政府のやっている事に首を傾げてしまう。

少子化の話ではなかった。(笑

参考までにリンクを張っておく。夜長の気晴らしにどうぞ。→「ARTIFACT ―人工事実― 困ったゲストブロガー」
其処にも一人
読解力の無い人物を発見した。

確かに彼女は「関係ない」と言っていたが、それはウェブ上の意見として書いたものではなく、さもそれだけが全てだというような報道のされ方をしている事に対して「関係ない」とリアルで言っただけだ。
前後に書かれている事を総体して物事を読解していかなければ、君は「馬鹿なのか?」と言われても仕方ないと思うぞ。

君がそんな事を気にするのなら、報道されている事柄など聞くに堪えないのではないかと思うのだが。
彼女は日記を書き続けており、そこでは自分の考えや意見を書いているわけである。
それを読めば彼女がどういう考えを持っているか分かるはずだ。
だが、君はどうだ?
君はどこかで彼女のように日記を書き綴っているのか?

これは私の考えなのだが、他人に反論したり、自分はこう思うという考えを相手に提示し相手の意見を導き出したい、有意義且つ気持ちの良い討論や議論をしたいというのなら、自分も日頃から「こう思うのだ」という日記等を提示しておかなければならないと。
自分のテリトリーのない者が、たまたま辿り付いた日記等に「一言が気になった」「どういうことか」というような書き込みをしても良いとは私は思わぬ。
どんなに丁寧でもっともらしい物を書いていたとしても、それはただの落書きだ。

そう言えば私がよく読んでいる日記の筆者も書いていたな。この事に関係してではないが「信頼関係が必要」と。
そうなんだよ。
反論して互いの意見を話し合うには「信頼関係」が無ければ不毛ではないかと思うよ。
信頼関係の無い所での反論は難しい。なかなか賛同を得られぬ。
反論というものはそれほど覚悟のいるものだ。
特に君のように全く読解力の無い書き込みは、他の人間から見て笑われているはずだと思うがね。


呟きにしては少々長くなり過ぎたな。(笑
青春メッセージ
NHKの青春メッセージがなくなったそうですね。
今では弁論よりもネットでの議論が一般的になってきており、ああいった一方通行な主張などは廃れてきたということでしょうか。

私の知り合いの女性も、ネットでは相手との会話が楽しいと言っていました。
ですから、相手との会話のキャッチボールの出来る掲示板への書き込みがとても好きだということで、直ぐにレスポンスがある場所に好んで足を運んでいたようです。勿論、足を運ぶというのは比喩ですが。

私としては、最近ではその番組を見ていたわけではないのですが、無くなるという事に一抹の寂しさが無いとは言えません。
求められていなければやる意味もないというのは分かるのですが、私のように議論をしたいと思っていない人間には、同じように己の主張をしたいと思う若者の考えをああいった形で聞くのもいいものだなあと思うものですから。
私は議論では自由な意見を言う事がどうも出来ないようなので、一方通行さに心地良さを感じてしまうのでしょうね。

そういう日和見的な見方に嫌悪感を持つ人もいるでしょうが、私の見た新聞記事にも載っていたように、夢を語る場として青春メッセージは細々と残って欲しかったというのが、私の気持ちであります。
ふと思い出す
「だらず」

知り合いがよく使っている言葉だ。
先程覗いたある人の日記を見て思い出したよ。
私は好きだな、この言葉。
君の言う通りだ。

犯してしまった罪は一生無くならない。
それを知ってさえいれば罪を犯さない。

自分以外のせいにするな。
それは私自身にも言える事。

これからはそうありたい。
関係を修復できる相手
喧嘩しながらでもぶち当たれる家族のような存在を求めていたと、友人が日記に書いていました。
そして、そういう存在をその人は手にする事が出来たので救われていると言っていました。

それは彼だから手にする事が出来たのでしょう。
私にはそういう存在がいません。
喧嘩は絶対に私には出来ない事ですし、過去に何度かどうしても喧嘩をせざるを得ない状況になった時も、必ずその後の関係は壊れてしまったからです。
それ以降は決して喧嘩はしないようにと気を配ってきたつもりです。
それがいいか悪いかではなく、私がそれを良しとしなかったというだけなのですが。

それは思うに、実際に相手とリアルで接触しないからなのではないかと思うのです。
私の人間関係はほとんどネット上だけの関係なのですよ。
彼は実際に相手と会ったり、電話で互いに話したりして良い関係を結んでいるようなのです。ですから、ぶつかってもすぐに関係が修復できるのではないかと思うのです。
ネットだけの繋がりだと、相手が繋がりを絶ってしまえばそれまでです。それは自分の方もそうですよね。私の方が煩わしいと思ってしまって相手と接触しなくなれば、あの時のあの言葉は一体どういう意味だったのかの決着は永遠につかなくなるわけですから。

私は恐らく直ぐに諦めてしまう性格が災いしているのかもしれません。
そして、私は短気な所もありますので、気長に相手との関係を作り上げていく事が苦手であるという事も不幸を招いているのかもしれませんね。

それでも少しづつ落ち着いてきたかなと思っています。
気持ち良く生きていく為に
日本語は曖昧で寛容であるから生きていると書かれている人がいました。
そして、自分と違った日本語の使い方をしていることで相手を馬鹿にしているようでは言葉の文化は成長しないとその方は言っています。

よく指摘される「千円から入ります」という店員の言い方にしても、かなり拒否反応を示す方がいたりしますが、実の所、私はそんなに目くじらを立てるほどでもないと思っております。
マニュアル通りに発せられる言葉に誠意や温かみが感じられないと言われる方もいますが、それはご自分がそう感じるだけであり、店員全てがマニュアル人間でそうしているとは思えません。
中には客に対して誠心誠意の気持ちで接している人も必ずいるはずです。
何となくこの店員は良い感じだとそう思える時もあると思うのです。少なくとも私はそうです。
それもあり、私は気に入った店員にばかり接客してもらうのです。
たとえそれが私の思い込みだったとしても、私がそう感じる事が大事なのだと思っています。

気持ち良く生きていきたいですからね。
正義感は嫌いだよ
目には目を。
それは正義感ではないよ。
やられたらやり返す事と目には目をは違う。
君の愛する人と私の価値観は違うよ。

正義感というものは、己に降りかかった事に対してそれを齎した相手にやり返す事ではない。
正義感というものは、何時でも自分以外の誰かの為に振り翳すものだ。
君の愛する人のそれはただの八つ当たりだと思うよ。

だが、正義感なんてものに良い印象は無い。
それは何時でも身勝手で愚かだ。
正義感、私は嫌いだね。
死者からの手紙を貰いたいか?
知り合いが日記で、死んだ人から年賀状が届いたと書いていました。

何年か後に届けられるという企画だったらしいのですが、死者から便りが届いた時の気持ちとはいったいどのようなものなのでしょうか。
そのような企画というものは、年賀状に限らず他にもあったわけですよね。
届けた相手が亡くなっている場合など、よくTVで取り上げられていましたから。
矢張り複雑な気持ちになるのでしょうね。知り合いも「不思議な感覚だ」と言っていましたし。
ですが、届けられて良かったと思う人もいるでしょう。

私は如何でしょうか。
貰いたいような貰いたくないような、矢張り私も複雑な気持ちになりそうです。
後ろめたさなど感じない
明日は我が身だ。
次の瞬間、被災するのは私や君かもしれない。
後ろめたさを感じるという事は、自分は被災する事はないと無意識に感じているのではないかな?
だから私は後ろめたさなど感じない。
形のある支援とは違うかもしれないが、自粛は気持ちが形になったものだ。
後ろめたさを感じているくらいなら、自己満足だとしても何かすればいい。
私はそう思うよ。
関係ないだと?
何だよそれは。

病人には恋愛は関係ない世界だと?
ふざけるな。

だが思う事は規制は出来ない。
思う事は自由だ。
そして、相手としては気遣いからだったのだろう。
だがな。
気遣いというものは最後まで貫くものなんだよ。

本心というものは他人に言うべき事ではないんだ。
それが本当の気遣いというものだ。
写真を公開するリスク
続けて友人の日記に書かれていた話題です。
友人は某コミュニティでご自分の顔写真を公開しています。
私も今回初めて見せて頂いたのですが、矢張り想像通りの人でした。

プロフィールで写真を出す事は私は反対はしません。
私が反対する場合は、自分以外の写真を公開する時ですね。動物の場合は別ですが、ご自分の家族の写真を何の加工もせずにウェブ上で晒すのは良くない事だと思っています。

ウェブの世界では悲しいかなコピーが横行していますので、写真などは勝手に何かに使われているかもしれないと考えておかなくてはなりません。それは忘れない方がいいでしょう。
自分がウェブに公開して、何処かのアダルトサイトに晒されていたとしてもそれを知る術はないのですが、時々知ってしまう事もあるようなので、それが嫌なら矢張り載せないようにしないといけません。

自分だけならまだしも、自分が他人の写真をウェブに掲載して、それがとんでもない使われ方をしていたとしたら如何します?
本人の承諾を得ていればまだしも、例えばご自分のお子さんの顔写真の場合、ほとんどの人がお子さんに承諾を得てないと思うのですよ。
たとえ赤ちゃんの顔写真だとしても、その写真は赤ちゃん自身に肖像権があり親であっても勝手には使えないと思うのですが、如何なものでしょう?
私は肖像権についてはあまり詳しくないので、的外れな事を書いているかもしれませんが、危険な事は矢張り避けた方がいいのではないかと思います。(肖像権についての簡単な事が書かれていました。参考にしてください。→肖像権

勿論、そういう違法コピーをする方が一番悪いのですが、守ってくれる人はいないのがネットの世界です。ご自分で十分に気を付ける事に越した事は無いと思いますね。
勤労感謝とは
久しぶりに接触を持った友人の日記を今日はずっと読んでいます。
その中で「そうだったのか」という事柄が書かれてありました。

勤労感謝の日は働いている人に感謝する日ではなく、働ける事を感謝する日であるという記述です。

私はてっきり「働いている人に感謝する」と思っていました。
友人は「働いている人に感謝するというのなら、勤労者感謝の日でないと変だ」と書いていました。なるほど。

友人も書いていましたが、確かに勤労感謝の日で「いつも働いているから感謝してくれ」と言う人はいるみたいですね。友人はその事で他人と口論をしてしまったそうですが、相手の状況によっては言っても差し支えはないかなあというのが私の正直な気持ちです。

たとえばある夫婦がいたとして、夫が働くのは当たり前であると言い立てつつ好き勝手な事をしている妻に対して、夫が「感謝して労わってくれ」と言いたくなるのも分かりますし。
ただ、労わるというのは自分から言うものではないのではないかと思っています。言わなくては分からない相手であれば、労わってくれと言ったとしても冷たい言葉しか返ってこないでしょうからね。

何にせよ、威圧的に「何々しろ」と言われればあまり良い気分にはなりません。
感謝という言葉は、何時でも感謝している側から言いたいものです。
また一歩
君の書いていた「深淵」という言葉で思ったよ。
私は新年を迎える度に「また一歩死に近付いている」と思っている。
私にとっての「深淵」は「死」に他ならない。
「死」の前では、何もかもがどうでもいいと感じられるから。
深淵を覗き込んだ時の気持ちとはそういうものじゃないかな。

君の「深淵」には何があるのだろう。
それには私の感じている「死」はある?
私は時々強烈に「死という深淵」に一歩進みたくなる事があるよ。
君はそういうことはないだろうか?
目には目を
知り合いの掲示板で知った事ですが、性犯罪は何も性欲が抑えられないからというだけで起こるものではないらしいですね。基本はコンプレックスだという事です。(こちらを参考に)

なるほどそうかと思いました。単純には括れないという事ですね。
勿論、全てがコンプレックスからというわけではないでしょうけれど。
これはただの印象なんですが、例の集団暴行はコンプレックスだけでは片付けられないような気もしていますし。
コンプレックスの塊を持っている人でも強姦に走らない人もいますしね。

ですが、確かに私が提案したような「男に強姦されればいい」とか「切り取ってしまえばいい」(これは書かなかったか)だけでは犯罪はなくならないというのは私もわかります。
ただ、私の場合は犯罪を無くしたいという気持ちからそういうことを言った訳ではなく、そういう罰を科さない限り被害者の気持ちは収まらないし、犯人も反省しないと思っただけです。
コンプレックスを持ち出してくると、精神鑑定で罪を逃れてしまう奴も出てきますからね。

とすれば、極刑だけしか犯罪の再発を防げないということにもなりますか。
それは言い過ぎであるという事は私も承知しています。
ただ私は、目には目をという信条ですので、そう思ったまでです。

私は強姦犯は絶対に許しません。
私は女性の味方ですから。
勿論、男性でも強姦される事はありますから、厳密に言うと女性だけではなく強姦された方の味方であると付け加えておきますが。
有難う
あなたがまだ活動していると知ってあなたを探しに行った。
すぐに見つかったよ。
懐かしい人々もいたね。
誘惑に駆られたよ。
だが私は見つめるだけだ。
もうご免だ。
静かに過ごしたいから。
そういえば奴の日記もまだリンクしていたな、彼女の場所と。
覗いてみたら相変わらずで。
さすが良い事ばかり書いていると思ったよ。
別の場所に書いていることより断然いい。
同じ毒舌でも書き方次第で印象は変わるものだ。
奴はまだ若い。若過ぎて痛い。
だいぶ叩かれる経験をしてきたらしいが、それが上手く作用していればいいね。
これもただの偽善か。

親愛なるあなた。
とても心配していたんだよ。
元気そうで安心した。
私に教えてくれて有難う。
あなたの日記がまた読める。
今年の始まりはそれが一番の朗報かな。
あなたのリアルな姿も見れて喜んでいるよ。

有難う、友よ。
In der Luft schweben
君と同じく私も此処にはいなかったよ。

  

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