Photo: 「無敵の心身」
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夜の闇に浮かぶ月
そうだね。
君と同じだね。

振り返れば何時もその人はいた。
微笑んでいた。
何もかも許してくれた。
私の我儘全てを。

いなくなったことじゃなく。
その人が居てくれた事実が大事なんだ。

私も憎めなかったよ。
最後まで憎む事出来なかったよ。
夢にまで見たよ。
その人の夢を。

今夜は月が出ている。
君も見ているか?
君は立ち直れたか?
私は立っているよ。
君と同じように立っている。
そして、窓を開けて私は月を見ているよ。
春の夜風が気持ちいい。
遠い昔の街並みが思い出されては胸を締め付ける。

もう戻れない。
此処に居る私は一体誰なんだ?
あの辛くて悲しくて、そして愛しい夜は何処に消えていったのだ?
君の歌声が此処に届く。
君の笑顔が見える。
寂しくても笑っている切ないほどの笑顔が。

中空に浮かぶ月に映っている。
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運を天に任せて
昨日の脱線事故では様々な方が日記で書かれていました。
他の方々と私も似たような事しか思い浮かばなかったのですが、ニュース映像でJRの職員の方だと思いますが、一人の男性が半泣きになって頭を下げている姿に興味を惹かれました。
その方は「どう思っているのだとか、どうするつもりなのだとか、その様な事は今は言わないでください」と言ったような事を叫んでいました。たまたま垣間見ただけだったので、その通りの言葉であったかは覚えていませんが、そんなような事を言っていたと思います。

あのような惨事があった場合、巻き込まれてしまった家族が「どうしてくれる、娘を返してくれ」と言うのならばまだ分かるとして、レポーターがその様な事を言ったとしたら、思わず「またか」と嫌悪感を感じてしまうのは私だけではないでしょう。とは言え、昨日見たその場面ではレポーターがそう言ったのかどうかは確認していないので分かりませんが。
ただ、もしレポーターがそのような馬鹿な質問をぶつけたとしても、それに対して半泣きになって「そんなことは言わないでください」とは言えないのではないでしょうか。泣いてどうにかなるものでもないでしょうに。簡単に泣いて欲しくないと私は思います。

「finalventの日記」では、精神論を説くのはどうかというような事を書かれていましたが、私もそう思います。
それはJR職員と思われる男性に向かって「どう思っているのか」と詰め寄る者達と同じなのではないかと。
確かにスピードが出過ぎていた事も原因に含まれるとは言え、運転手が一番悪いとかそういう事ではなく、自動列車停止装置(ATS)が古かったとか、置石があったとか、様々な要因も絡んでいると思うのです。
事故というものは、万全にしていても全く起こらないものではありません。どんなにいい加減にしていても起こらない場合だってあるはず。今回は悪い要因が重なってしまってこのような大惨事になってしまったのでしょう。
「極東ブログ JR福知山(宝塚)線脱線事故に思う」でも筆者の思いが書かれていましたので参考にしてみてください。そちらでは不審者がいたようだというブログを見かけたと書かれていました。

それにしても、たまたま乗り合わせてしまった人々は本当にお気の毒としか言いようがないですね。
ただ、こういう事は誰の上にでも訪れる可能性はあるのです。バスに乗っていても、飛行機に乗っていても、車に乗っていても、自転車に乗っていても、道を歩いていてさえも起きる可能性はある。例え気をつけていても災難というものは容赦なく襲ってくるものです。
そう言えば、私の友人には、乗っていたタクシーに後続車が突っ込んできて、首を痛めた事もありました。様々な事故が今この時、何処かで起こっているのです。

他人が運転するものに乗る場合は、自分ではどうする事も出来ません。二度と事故は起きないという事は皆無だと思いますが、それでも二度と起こさない気持ちでJR側にはこれからの事を考えて頂きたいと思います。
私はほとんどJR等公共の乗り物は利用しませんが、ごくたまに利用する事もあります。そのごくたまにという時にこのような惨事に巻き込まれないとも限りません。この次利用する時は、運を天に任せて乗り込む事にしましょう。
同じ人間なのに
友人の職場の中国人はこう言ったそうだ。
「どうして僕等だけ休みがないのか」
友人はゴールデンウィークには連休がある。
だが彼等中国人には無いのだと言う。
こんな所から不満が募るのだ。そして、それが憎しみへと変わる。
それは日本人とて同じ事。
不当に扱われれば、どんな人種の人間だろうがそうなるだろう。
友人は不当な扱いを受けている彼等を見てきて「同じ人間なのに…」と悔しそうに呟いていた。
日頃から上の者が中国人に対して威圧的な態度を取り、人間扱いをしていない事を友人は腹だたしく思っていた。
だが彼等はそこで働くしかない。
まだ働かせて貰えるだけましなのだ。
しかし、それだからといって不当に扱われるのは如何なものか。
そんな日本人がいるかと思えば、正当性の無い暴動を起こすような中国人もいる。
どちらもどちらだ。
嘆かわしいどころか反吐が出る。
あの曇り空を
紫月さんの「毒な雑記帳」4月21日で知った。

あの日、空は曇っていた。
楽しみにしていたアクロバット飛行。
私も見たよ。

そうか。
もうあのアクロバット飛行は見る事は出来ないのだな。



私もご冥福をお祈りいたします。
名に宿る魂を愛す
えっけんさんの「むだづかいにっき♂:意見と批判と匿名について」を読んで、七誌…失礼、名無し書き込みに対して不快に思っていた私の考えが少々変わりました。

名無しで書き込みをする、その方の心理というものを考えてみると、書かれた記事に対して否定的な意見を書くとか、ただの罵倒のつもりで書くとか、或いはその場所に訪れる他の閲覧者に知られたくないとか、そういった理由から名無し匿名で書き込みをするのでしょう。

ですが、幾ら書き捨てであっても多少は考えてHNくらいは書けば良いのにと私は思ってしまうのですね。極端な話、花子でも太郎でもどんなに有触れた名前だとしても立派な名前だと思うのです。
そうは言っても「名無し」も立派なHNだと言われる方もいるかと思います。そういう考えも間違ってはいないと思いますが、私は好きではないです。

例えば、訪れた場所に自分とは知られたくないがコメントを残したいと私が思ったなら、匿名用にHNを考えて残すでしょう。しかも、自分が「なかなか良いHNを考えたぞ」と思えるHNをです。一生懸命考えますよ。他人はたかだかHN如きで何を必死になっているのだと思うかもしれませんが、私にとって「名前」は大切な物なのですよ。自分の名前も、そして相手の名前も大切だと思っているのです。勿論、私が興味を持つ方の名前に限りですが。

そういう訳で、私は「名無し」という書き込みをされる方に対して、例えそれがどんなに素晴らしい意見だったとしても好意的には見れなかったのですが、えっけんさんの言葉に今更ながら気付かされた事があります。
それはえっけんさんがご自分の記事にコメントとして追記された言葉「うっかりしていて名無しのまま投稿した経験が何度もある」です。
そうか、うっかり名前を記入せずにという場合もあるのだなと。

ただ、どうやらえっけんさんは私とは違い、うっかり名無しで投稿して「しまった」と思っても「今のは私です」と追記のコメントは残さない事もあるようですね。と言っても、このえっけんさんの記事自体が一年も前の物ですので、今もその限りではないのかもしれませんが。(ご自分のこの記事のコメントでは追記されていました。→「むだづかいにっき♂:こんなblogはやっぱりつまらない」
私はえっけんさんのように「別に改めて名乗るほどのものでもないや」となれない性格なので、コメントを残した後は必ず書いた物に目を通し、誤字脱字があれば直します。場所によっては編集が出来ない事もありますので、訂正で追記のコメントをする事もあります。自分でも神経質だなと思いますが、気になって仕方ないのですね。

とは言え、えっけんさんのようにそれほど気にしないというスタンスであれば、名無し書き込みに対して要らぬ怒りを感じなくてもいいのかもしれません。それを知れた事は私にとっても有意義でした。
それでも私にとっては名前は大切です。私は名前の付け方を見て相手の方に好感を持ったりしますので。

それにしても、この記事を書きながらえっけんさんのブログを遡って過去から読んでいるのですが、過去の記事を取り上げて何かを書く事は無謀な事かもしれないと思いました。
こちらの記事(「むだづかいにっき♂:ニュースblogがつまらない」)のご本人さんの追記を読むと、考え方が変わってきていると書かれているからです。
それでもせっかく此処まで書いたのですから、ネタは無駄にしたくないのでこのまま書かせてください。

次に、えっけんさんがこちらの記事(「むだづかいにっき♂:誤字を指摘するか、しないか」)で書いていらっしゃるように誤字脱字は指摘して欲しいというのは私も同意見です。
それにしても本当に「いちいちそんなことで突っ込まないで」と他の方は思っているのでしょうか。
とは言え、えっけんさんもそのように思っているような気がするという記述をされているので、「突っ込むな」という声を実際に見たのかどうかは分かりませんが。
私は、恐らく「突っ込んで欲しい」という方が多いのではないかと思っています。私もよく何人かの方には「その漢字は違うようですよ」と声をかけるのですが「突っ込むな」とは言われた事はないですね。そうは言っても、心の中までは分からないので不快に思われてしまってるかもしれませんが。

という事で、えっけんさんのこちらの記事(「むだづかいにっき♂:ブログ王を知っていますか?」)の誤字を指摘いたします。

「よくあるBLOGのアクセスランキング総合サイトなんですけど、サービスが始めって間もないせいか、まだマイナーな存在のようです。」

上記の文章に誤字がありましたよ。私も細かい人間ですね。
心の奥の大切な場所に
身内に存在を否定されているという彼は、過去はどうあれ、少なくとも私は現在の彼を見て注目した。
普通の日は無いのかと言う彼の言葉は重みを感じる。
普通の日を過ごしている私にとってそんな彼の言葉は想像するだけで、理解出来たとは言えないだろう。

彼の様子を見に行くと、時折り君の姿が見える。
それが嬉しい。
以前は辛いだけだったが、今はただ心配する気持ちだけしかない。

「たまに死にたくなる」

君もそう思っていたか。
私は…そうだね、君のように「たまに」だね。
その「たまに」が、以前よりは回数は少なくなった。
君も図太くなったらしいが、私もそうなりつつあるよ。

君の事は心の奥の大切な場所に眠っている。
適度にマイナスを放出する事
やまめさんが「お客さんにどんな暴言を吐かれても何も感じないという人を以前は達人であると尊敬していた」と書かれていました。(参照:「新・柏原日記/リアル2ちゃんねる」
ですが、それでは良くない、人として良い傾向ではないと思うに至ったそうです。

私もやまめさんがおっしゃっているように、何も感じないという事は、傷付かない代わりに何も生み出さないと思っています。
何も感じない人は誰に対しても毒にはならないでしょうが、同時に誰も感動させる事は出来ないのではないでしょうか。

実際に「何も感じていない」と宣言する方も時折り見かけますが、私はその言葉を信じていません。人間とは必ず何かを感じていると私は思うからです。何も感じていないのではないと、ね。
誰かから投げつけられた暴言を「何も感じていません」とかわし、優等生な対応を取る事は、確かに一見大人な態度に見えるのでしょうが、それは本当の大人ではないですよね。

よく言われる事ですが、プラスがあれば必ずマイナスもあるのが自然であると。ですから、何も感じていないわけではないと思うのですよ。ただ気付いていないだけで、自分では分からない心の奥で傷付き、怒り、嘆いていると私は思います。

プラスばかりを追い求め、マイナスから目を逸らしていれば、それは歪んだ物をその人に植え込むでしょうね。
何事も両極端は良くないというのが私の考えです。ですから、適度に「傷付いた」とこぼす事も必要な事であり、過ぎなければ問題はないと思うのですよ。
全くマイナス面を見せないと言うのも、周りは安心するのでしょうが、本人には良い状態とは言えないのではないでしょうか。

それもあり、私は此処で時々呟くのですね。私なりのマイナス面とも言える呟きなのです。そうする事で、バランスを取っているのですから。
たった一人の存在
君の傍にいるよ。
かつて私が味わった痛みを感じていた君の傍に。

まだ心の整理がついていないのだろうね。
今までのあの親密さは一体何だったのか。
そして、一体自分は何をしてしまったのか。
明確な答えを貰えないままでは気持ちはくすぶったままだろう。
君もだったのだね。
私もそうだったよ。
約束の物は決して届かなかった。
君もそうだったんだね。
君の場合は私とは少々違うようだが。
それでもそこまで言われてしまっては要求する気も出ないだろう。

君には私がいるよ。
忘れてしまいなさい。
私がいるから。
私だけは決して君から離れない。

今までの人達にとってもそういう存在であるべきだった。
私はやっとそういう存在で在れる。
たった一人の存在に。
誰かにとってのたった一人の存在に。

私はなりたかったのだから。
死出の旅に赴くまでに
新聞を読んでいたのですが、そこに書かれたとあるコラムに目が止まりました。それは癌の告知に関する話で、ある老夫婦のケースが書かれてあったのです。

乳癌にかかった妻は病院嫌いであったため、気にしながらも更年期のホルモンバランスが崩れたせいだの何だのと勝手に思い込み、放置していたのです。しかし、あっという間に至る所に転移してしまい末期癌であると宣告されてしまいました。夫は彼女に話したら大変な事になると思い、告知しませんでした。
そして、妻はもう助からないという事でホスピス病棟へと移されたそうですが、矢張り彼女は「ホスピスとは死ぬ人が行くところ」と不満を漏らしていたそうです。夫はホスピスの方がゆったり治療が出来るなどと嘘を付いて妻を納得させたらしいのですが。
後に妻が亡くなってから夫は「本当に告知しないで良かったのだろうか」と気に病んだという事です。

告知をするかしないかは本当に難しいと思います。
私の知り合いにも身内を亡くした方がいますが、癌である事を告知して良かったのだろうかと言っていました。
もし私が余命幾ばくも無いとなったら、私は告知して欲しいですね。
死ぬまでにやっておきたい事は沢山ありますが、その中でも幾つかは必ずやっておいてから死にたいと思っているものもありますから。
事故など突発的な事で死ぬ場合は仕方ないのですが、死期が分かっているのなら、私のようなのんびり屋でも恐らく死に物狂いで達成するのではないかと思っています。

逢いたいと思っている人に逢う事。
書き上げたい書き物を書き上げる事。
行きたい場所に行く事。

これ等は、本来なら日々を過ごす上で「もしかしたら明日は無いのだ」と思う事で行動を起こさなければならないものであり、私もその事はよく分かってはいるのです。
ですが、私は追い詰められないと行動を起こせない人間なのです。
起こせない為に私は何一つとして残せる物が無い。いえ、全く残す物が無いわけではないのですが、自分では満足の行く出来ではないと思っているのですね。
そんな私ですが、時折り起爆剤のように投下される出来事というものがあります。病気の発症もそうですが、人間関係のトラブルでもそうです。
そして、私は思いました。或いは何か神のような存在が私に行動せよと示唆する為に、毎回無理難題のような出来事が起きるのかもしれないと。

ですから、私は告知を望みます。
最期の時には達成感を感じてから死出の旅に赴きたいですから。
桜の真実
「極東ブログ 敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」を読んで思い出した。


何時も夢に見る。
死ぬまでに一度でいい。
桜吹雪に巻かれてみたい。
西洋被れの私でも桜には特別な想いがある。
如何してだろう?
何故こんなにも桜に惹かれるのか。

子供の頃、桜がとても好きな人がいた。
その人が桜について熱く語るのを聞いた。
子供の頃はそれ程桜に思い入れはなかった。
そんなに好きではなかった。

今ではその人とも遠く離れてしまい、その人の桜への強い想いだけが残された。
桜はその人を思い出させる。
二度と戻らぬ幸福な二人の秘密の想い出。
桜の花びらに巻かれれば、あの時の私達に戻れそうで。

そうか。
だから桜が好きなのだな。
内心を隠して立ち続けろ
君がそれでいいと思っているならそうしろ。
私は否定しない。
だが君のその行為は相手を追い詰める行為だ。
事が起こった場合、何事も無く立ち続けるのが男というものだろう?
泣き言を言うな。
説明も事情も語るな。
黙ってそのまま立てよ。
これ以上失望させるな。
だが私の期待などもう如何でもいいと思っているのかな。
君は彼女と同じような事をしている。
彼女はそれで大切な物を多く失った。
しかし、こんな事くらいで失う物だったとしたら、それは大した物じゃなかったという事だ。少なくとも自分にとってはね。
そう考えれば君のその行為も意味の無いものでもないということか。

私は次の世などというものを信じない。
この生の前を覚えていないのだから、信じる事など出来ないよ。
私は今のこの想いだけが全てだ。
今の生で関係が深い相手は来世でも深い関係になると聞いたが、それが本当だとしたら、今関係が離れてしまうという事は来世でも一緒になれないという事ではないのか?
だとしたら、来世でも一緒にいたいと思うなら、今この時に繋がっていないといけないのではないか?
君が「来世で」と言う度に、私は君に対しての不信感が拭えなくなってきたのだ。
それはただの言い訳だ、と。

人の心は確かに変わるね。
私はそれを思い知った気がするよ。
どんなに努力をしても如何にもならない事もある。
本当にそうだね。
努力だけでは如何にもならないものがある
人と人の繋がりとは難しいものですね。
どんなに話し合ったとしても互いに相手に伝わらない時があります。
昔の話ですが、私の友人にもそういう歯痒い思いをした人がいました。
誤解を解こうとして話をするのに相手は一向に聞き入れてくれないというのですが、私は通じない相手とは話したくないと思ってしまうので、友人の行動には賛成しかねていたのです。
ただ、話したくないと思うのは私がそう思うだけであり、友人はとことん話したいという人なので、私の考えを押し付けるわけにはいかない。
結果、余計に拗れてしまい、相手は友人を拒否。友人はそれから長い間、自分を責め続け、誰にも心を開く事が出来なくなってしまった。私の存在さえも消し去ろうとしました。
実際消し去っていたと思います。
それでもやっと私の想いが通じ、友人に話し掛ける事が出来るようになりましたが。

人と人が繋がるのには努力だけでは如何しようもない事もあるのですよ。
努力だけに着目をしていると足元を掬われます。
勿論、努力しないのは論外なのですが、ある程度の努力をしても駄目ならすっぱりと諦めて、新しい関係を求めるのがいいでしょう。
私も昔は未練を残したものでした。
ですが、今の私は晴々としています。

適度の努力、深い愛情、そして相性がいいか悪いかが大切。
相性は好きか嫌いかで左右されるものではないので、こればかりは努力では如何しようも出来ない領域。私はそう思いますよ。
冷たい視線は醜い心の表れ
「S嬢のPC日記:「障害」と「支援」」を読み、私の中の触れたくない過去が思い起こされた。

君は私を決して許さないだろう。
私は君の最後の言葉を忘れない。

「味方だと思っていたのに」

その言葉を私は手紙で君からもらった。
私は卑怯者だった。
後ろめたい事をそのままにはしておけなかった。
だから君に手紙を書いたのだ。

何故あの頃、君に対して冷たい態度を取っていたのか、それを言い訳に満ちた文面で送った。
私は怖かった。と同時に私はいい気になっていたのだ。
皆が君に対して「生意気だ」「やってもらうのが当たり前と思っている」等言い立て続け、私もそれに賛同した。
手紙を書いた時も、恐らく私はまだ君に対してわだかまりを抱いていたに違いない。
だから最後に交換した手紙でも互いの主張を譲り合う事はなかった。

私は何時もそうだった。
大人気無い態度ばかりを取る。
何時も何時もそうだった。

君にもらった物の大切さなど忘れてしまい、後になって大事な物を失ってしまったのを思い知らされる。
君の強さ。
君の笑顔。
君の頑張り。
私が辛かった時に気を紛らわせる事が出来たのは君のおかげだった。

君が「すみません」と頭を下げ、物を取ってもらう姿を忘れる事が出来ない。
何度も何度も頭を下げていた。
そして、それを冷たい目で「当たり前だ」と人々は見詰めた。
その中には私もいたのだ。
最初から君を嫌いだった者達はまだマシだ。
私は彼等とは違っていた。
君は私を信頼していた。
私も君が好きだった。
それなのに、私は君を否定する人々の声に耳を傾けてしまったのだ。
それからだ。
私は君の一挙一動全てを否定するようになってしまった。
皆から仲間外れにされるのが嫌だったのが本当の理由だ。

私は世界で一番醜い心の持ち主だった。

あれからも私は人と上手に関係を築く事が出来ず、君のように傷付けてしまった人もいる。
最近になって漸く、他人との関係を上手く築く事が出来るようになった。
怖さを覚えたから。
失う怖さを覚えたから。
人は二度と戻らぬ怖さを覚えて賢くなっていくのかなと思うよ。

君は今何処の空の下だい?
時々君のように身体を傾けて足を引きずって歩いている人を見る度に、君を思い出してしまう。
何処かで元気に暮らしている事を心から祈っている。
ワンクリック詐欺
ワンクリック詐欺で摘発されましたね。
今朝のニュースや新聞では大々的に報道がされていましたが、やっと摘発されましたか。

広告を一回クリックしただけで自動的に入会した事になってしまうワンクリック詐欺は、よく分かった人間は放置すればいいと知っているので慌てる事はないのですが、それでもほとんどの方が一瞬いい気分にはならないようです。
「無視すればいいと分かってはいるのですが…」という言葉はよく聞きますので、矢張り多少の不安はあるのでしょう。

確かに新聞やTVでも言われていたように、慌てて退会手続きを取る事が危ないわけなのですが、中には放置していても危険な場合もあると聞きました。
ただ、そういう事はごく稀であるようなので、ほとんどのケースはクリックして入会してしまった事になっても退会手続きはしないようにし、無視するのが良いようです。

それにしても、退会手続きで思い出したのですが、以前ライブドアが吸収合併した日記サイトの登録者が、自動的にライブドア側に移行・登録されてしまった事がありました。あれの退会手続きでは、住所・本名等で手続きを取らなくてはならなかったという事で揉めていましたよね。
金銭的な事は持ち上がらなかったとはいえ、何となくワンクリック詐欺を彷彿としてしまったのは私だけでしょうか。
読まれる記事を書きたい
「むだづかいにっき♂:読まれるトラックバックを書きたい」を読みました。

私はトラックバックを送る意味というものが分からないので、基本的にはトラックバックを送る事はしないようにしています。
ほとんどの方はアクセス解析を付けていらっしゃるので、それでこちらに来て頂き、興味を持って下さったらいい、そうでなければ無視して下さればいいという考えであります。

それが私のスタンスですが、こちらにトラックバックを送って下さるのは歓迎いたします。
相手の方がどういうつもりで送られたのか想像が出来るような送り方であればなのですがね。
似たような話題だからでも構いません。
極端な話、私の書いた記事に関係の無い事でもいいとまで思っています。それが読んでみて面白いと思えるものならばですが。
そうですね。全ては読んでから決めるといった感じでしょうか。

それにしても、トラックバックの練習という事ですが、練習というネーミング自体が私には理解できません。
えっけんさんの書かれていたように、ネタの提供や集客が目的であるように思えますので、ただ「御題」とすればいいのではないでしょうか。

私の場合はああいうテーマを決めて書かれている場所から読みたいものを決めてはいません。
私はテーマで読みたい人間ではなく、書かれている本人に興味を持てないと読みたいとは思わないからです。よって、テーマサロンのような場所やコミュニティはほとんど利用しません。FC2でも新着記事などで飛ぶ事もありませんね。一度利用した事はありますが。
私は気に入った方のリンクを辿って、或いは掲示板の書き込みを見て、好みの方がいればその方の日記やサイトに伺うようにしています。後は、私の設置しているアクセス解析で飛ぶ事もあります。

ただ、私は読まれるトラックバックは書きませんが、読まれる記事を書きたいとは思っています。おや、同じ事でしたね。なかなか難しいですが、精進しようと思います。
偽家族
あなたの呟いている事と同じような事を呟いている女性を知っているよ。

彼女はあなたとは違い子供はいない。伴侶もいない。
ただ、幼少時代に親から虐待を受けていた。
あなたも伴侶から虐待を受けているよね。
伴侶から虐待を受けている人は他の知り合いの女性にもいる。
出来れば別れてくれればと思っているが、あなた方はそうもいかない立場だ。
簡単に別れてしまえと言う者はいるだろう。
簡単に言う事は出来ないと思うよ。
一つの生き方として別れればいいと言うのならまだいいが、頭ごなしに言う人間を私は信用しない。
意見をしたいのなら信頼関係を築いてからにしろ。
私は一見で物申す人間は嫌いだ。

だが一人身の彼女は何故家を出て行かないのだろうと考える。
詳しい事は分からない。
そのようなプライベートな事は話せないと思っていた。
だから深く突っ込んで話をした事は無かった。
彼女が話してくれる範囲しか知り得なかった。それは日記等で書かれた事だけだが。

他にも父親の虐待を受けていた知り合いもいる。
その人は稼がない父親のために大黒柱になっていた。
だから家から出るわけにはいかなかった。
とすれば、家を出ない彼女もそうなのだろうか。

彼女はあなたのように一緒に住んでくれる人を求めていたよ。
あなたも子供のために家族をと望んだんだよね。
私はそれについては何も言えない。
それは間違っているとか、それは子供のためにはよくないとか、そんな事は言えない。

以前はよく慰めの言葉を投げかけたものだった。
私は傲慢で嫌な人間だった。
私にはもうあなたを心配する資格もない。
心配しているよと声をかける事すら出来ない。

情けなくて泣けてくる。
聞いたか?
紫月さんが言っていたよ。一番上手い喧嘩の仕方をね。

『ケンカ相手を誰から見ても悪者だと判断される状況に追い込む事。』

これがスマートなやり方だとね。
紫月さんは『一番面白い』とも言っているが、ギャラリーとしてと言うよりは当事者として面白がっているように私には思えたが。(笑

誰かさんも同じような事をしていたよな?
誰とは言わないが。(苦笑

それをして反感やら非難やら受けていたよな。
面白がれるほど豪胆で居られればいいのだが。

さて、如何だろう?
土産
そんな事言わずに土産をくれよ。(笑
確かに傍にいないがね。
物じゃないよ。
君の話を聞きたいんだ。
聞かせてくれ。
どんな事でもいいから。
楽しみにしているよ。

お疲れさん。
今までよく頑張ったね。
暫くゆっくりするといい。
不満解決になりませんか?
私の知り合いにはここのブログとは違うブログを利用している方がいますが、夜になるとログインが出来ないとか、なかなか記事の反映が出来ないという不満が出ているようですね。

今の所、ここFC2で不満に思う事はほとんどありません。
一、二度ほどなかなかログインが出来ずに記事の投稿が出来なかった事もありましたが、友人のブログやサイト巡りをして時間潰しをするようにしていますので、私は何も不満に思う事はありません。

どなたかもおっしゃっていましたが、メモで記事を書いておき、それを空いた時間に一気に投稿する事も出来ますしね。そのおかげもあって、書いてから時間を置くと思わぬ間違いや思い込みを発見する事もあり、要らぬ恥をかかなくて済む事もありました。

と、そんな事をとあるブログのとある記事を読んで思いました。(参照:「S嬢のPC日記:結局、ブログ」

思ったのですが、他の方は多数ブログを掛け持ちしているという事はないのでしょうか。恐らく、一つのブログで多岐に渡る話題を書いている方は複数ブログを持つという事はしていないと思いますが、もし一方が障害があって投稿が出来ないのなら、もう一つ別のブログサーヴィスで持つ事も不満解決になると思うのですが。所謂、ミラーブログとでもいうものになりますかね。私の友人にもそうしている方もいますよ。

この方のこの記事を読んで、更に思い出されたのが、私もお気に入りURLを昨日は片っ端から開いてお気に入りの整理をしていた事です。矢張り大多数がページは見つかりませんと出てしまいました。それでもずっと変わらずにサイトを運営している方もいました。
確かに長い間更新の止まってしまっているサイトもあります。何らかの事情でネットに繋げる事が出来なくなり、もう更新が出来ない方もいるでしょう。中にはもうこの世にはいない方もいるかもしれません。
そう言えば、約一ヶ月程更新をしていなかった知り合いのブログが更新されていました。それを見て安心しました。良かったです、本当に。
独り言という名の私信
此処でエッセイを綴るようになって五ヶ月が過ぎました。
数多あるテンプレートに見向きもせずにやってきましたが、実は見向きもしていなかったわけではないのです。(笑

この度、友人もブログを始めたようで、その人の写真を使わせていただきテンプレートを変更してみたのですが、昨夜からずっとカスタマイズに頭を悩ませ、やっと出来上がりました。

正直自分のセンスの無さにへこみました。(笑

骨格は「Fool under heavenly blue」さんのデザインをお借りして自分の好みに変更したのですが、どうしてもプロフィールをカレンダーの上に持って行く事が出来ませんでした。
元々HTML関係が分かっていない人間なので手探りで何とかやってみました。ですが、途中で嫌気がさしてきたので納得はしていないのですがこのままで公開する事にします。

当分テンプレートとは格闘したくないですね。(苦笑

ああそういえば、写真提供してくださった友人は「無敵の心身」の管理人ですが、Authorの名前はそれでいいのですか? それともわざとそうしているのかな?(笑
戦争の傷跡
イラク戦争帰りの米兵がPTSDのせいで仕事をもらえずにホームレスになってしまったり、自分の知らないうちに他人に危害を加えてしまい逮捕されてしまうというを夕方のニュースで見ました。

それを見た時、以前見た映画「ジェイコブス・ラダー」を思い出しました。あれはベトナム戦争帰りの兵士が幻覚に悩まされるという内容だったのですが、それと一緒だなあと思いました。
「やっぱりシネマ」のEdwerd氏が書かれているようにこの映画は先が読め、結末はよくあるものでしたが、私も強く惹き付けられた作品でした。

(参照:ジェイコブス・ラダーPIBF-1160ジェネオン エンタテインメントNTT-X Store
(参照:思い出のシネマ・レビュー・やっぱりシネマ:ジェイコブス・ラダー

そうきたか
友人に教えられた事なのですが、人権擁護法案だけではなかったのですね?

政治と宗教は分離しなくてはならないと思いますが。
表現の自由に一定の制限、ですか。この「一定の」という言葉が曲者ですね。如何様にも取れるというのが怖い。(参照:「MSN-Mainichi INTERACTIVE 政党:自民憲法起草委:中間報告 「表現の自由」に一定の制限も」

友人が言っていました。
近いうちに日本は壊れるな、と。
信じたくはないのですが、私もそう思えてきました。
何処に居ても安全などあり得ない
私もニュースで中国のデモを見ました。

散歩道さんの記事へのコメントにも書かれてありましたが、確かにあれはデモではなく暴動ですよね。(参照:「報道しない自由ですか?」
デモ=デモンストレーションとは、辞典を引いて見なくても誰でも如何いうものか分かるはずです。

デモ:大勢の人が意思表明や抗議の為に行う行進。

プラカードを掲げて行進するのがデモなのだと思っていましたが、中国のあれはデモではないでしょう?
明らかに暴動だと思うのですが、メディアは何故暴動だと報道しないのでしょうか。それとも私が知らないだけで、暴動が起きていると何処かでは報道されているのでしょうか。

それとも、そんなにも日本政府は中国を逆撫でしたくないのでしょうかね。そして、メディア規制が敢行されたのでしょうか。
あれはどう見ても暴動です。断じてデモなどではない。

そう言えば、私の友人の息子さんは社会人になりましたが、友人は彼が中国で働きたいと言ってきたらどうしようかと心配していました。
本人が望むならそれを止める事は出来ないのでしょうが、中国であのような反日運動が起きていると思うと心配ですね。
物を壊すだけならばまだましですが、日本人だという理由だけで暴力を振るわれたりする場合もあるかもしれませんし。

何処に居ても安全などあり得ない。それは日本であろうとも同じ事なのですが、海外よりは日本は安全なのでしょう。しかし、これも長く続く安全とは思えません。そんな気がしています。
CONSTANTINE
恐らく今まで見てきたオカルト映画の内容と似たり寄ったりなのだろう。
それでも見てみたい。そう思った作品だ。(参照:「CONSTANTINE」
予告編に感動。(笑
記憶は森に抱かれている
「書くことによって、思い出は過ぎ去ったものにならず、繰り返しよみがえってくる」

こう言ったのはフランスの作家フィリップ・フォレストなのですが、思い出したくない思い出が繰り返しよみがえってきてもそれでも書くという心境は如何いうものなのでしょうね。
彼が「永遠のこども」を執筆したのは、自分の娘を小児癌で亡くしたのがきっかけだったのですが、次の言葉でその答えが分かると思いますし、少なくとも書き手と言われる方は共感するのではないでしょうか。

「哲学はすべては死を迎えると言う。宗教なら神の御心と言う。しかし小説だけが"意味"から離れ、不条理に立ち向かい、悲しみ"そのもの"を受け止められる。」

生き物は全て死ぬ、例外なく。ですが、彼にとって娘の死は運命が彼に対して暴力を振るっているとしか感じられず、全く意味付けが出来ない出来事なのです。
大切な誰かが死ねば、それは誰でもが感じる理不尽さ。たとえどんなに日頃から「いつかは皆死んでしまうのさ」と他人の生き死にに無関心だったとしても、そんな人でさえも己の大切な人が死んでしまえばこう叫ぶでしょう。

「如何してその人が死ななければならないのだ?」

全ての人が書くことで死と向き合い、受け止める事はないでしょう。しかし、確実に彼のように書くことで乗り越える者もいるはず。
兎角身内の死や闘病を書く事は非難の対象になったりしますが、それは彼のように大事な人を亡くした経験がないからかもしれませんね。

辻仁成の「永遠のこども」の感想を読んで感じたことなのですが、矢張り作家というものは「書かずにはいられない」のだなと思いました。(参照:「青春と読書」

それにしてもどうでもいいことなのでしょうが、フィリップ・フォレストは今まで読み手に徹していた前衛文学の研究者だったのですが、もし娘さんが病気にもならずに普通に育っていったとしても書く側の人間になったのだろうか、と。
そして、これもどうでもいいことなのですが、私は「フォレスト」という名前が好きです。
見詰め続けているから
それは違うよ。

君の読んでいる日記の書き手がそうであるかは分からないが、もし相手とコンタクトを取らずに読み続けていたとしたら相手の心の状態など君に分かるはずがない。

相手の心の問題が解消されたと、それは断言は出来ないと思うよ。

君の言う所の痛さ故に人を惹き付ける日記。それを書いていた人の書く物がつまらなくなったのは、その人が別のHNで内心を吐露した日記を別の場所で書いているのかもしれないとは考え付かないか?

だから、面白かった日記がつまらなくなったからといって、相手の状態が良くなったのだという決め付けは出来ないと思うよ。

私は君の人柄を熟知しているわけではない。
だが、君の書く文章は大好きだ。だから、変わらず読み続けているよ。
私は一旦好きだと思ったらずっと見詰め続ける。勿論、全ての人に対してではない。
しかし、君は見詰めていたい人の一人だ。

君は私に少し似ている。
そんな君を変わらず見ているから、どんな日記でも書き続けてくれ。
呪詛
私の大切な人に様々な嫌がらせをする奴がいる。
私はこの通り遠くにいて大切な人を守る事が出来ぬ。

それなのに「あなたの鷹の目が帰ってきましたよ」と健気に言ってくれた。

私は君を放さない。絶対に。
過ぎ去りし日々、私を叱咤しつつ常に傍にいてくれた事を私は忘れぬ。

私は君に嫌がらせをするそいつを此処で呪ってやるよ。
たとえ神の逆鱗に触れようとも、私は呪ってやる。
もし私がそこにいたのなら、直接対決していたと思うよ。
君に話したと思うが、理不尽な事をされたら私は黙ってはいない。
そんな過去が私にもあったのだよ。

相手を追い詰め泣かせて謝らせた。
私の大切な人を泣かせる者には、私は容赦しない。

絶対に許さない。

  

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