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Photo: 「無敵の心身」
辛さの共有
私の友人の息子さんはベランダで火を付けていたそうです。
それを見つけたのが私の友人だったのですが、彼女は問い詰めたそうです。「どうしてこんなことをするの」と。
彼女は分かっていたのですよ。息子が苛めに遭っており、恐らくその鬱憤晴らしにしてしまった事なのだと。
しかし、彼女は問い詰めてしまった。
何故なら、彼女は本人の口からその事を聞きたかったからなのです。
辛い事を押し込めてしまう事は危険であると彼女は思っていました。
自分もまた押し込めていた為に、とんでもない爆発のさせ方をしてしまった経験があったので、辛い事を「辛いのだ」と誰かに訴える事が出来なければと思っていたのですね。
ましてや、火を付けての鬱憤晴らしは、罷り間違うと大惨事になる場合もある。
自分の家だけが燃えるならまだしも、他人の家まで燃えてしまったら大変ですから。
「これこれこうだからと言ってくれさえすればいいのに」と彼女は言っていたのですが、息子さんは随分と長い間何も言わずにいたそうです。
それでもやっと「ストレスが溜まってやってしまった…」とボソッと言ったので、彼女は彼を抱き締めてやったそうです。

「S嬢のPC日記:受容と共感」を読み、友人の話を思い出したのですが、彼女は何時も息子さんに対してどう接していいか分からないと言います。
辛い事が「辛いのだ」と言えない人間の気持ちを彼女はよく分かっていて、他人の話をよく聞いてあげ、限りなく優しく抱き締めて相手を癒す事が出来るのに、如何して我が子にはそれが出来ないのか、彼女は悩んでいたのですね。悩む事はないのにと私は思いました。

「受けとめてくれる人間の存在を感じるとき、人は、自ら、そのつらさに向かい合って、解決という扉を見つけ開いていく強さを持つことができる」

S嬢さんが言われたこの言葉のように、彼女はちゃんと息子さんの辛さを受け止めていると私は思っています。そして、それを息子さんは肌で感じているはずです。
抱き締める事が大切であると分かっていてもそれが出来ない人もいるのです。
それが出来るのですから、もっと自信を持って息子さんに接して欲しいと思いますよ。
君を救うのは君自身
「S嬢のPC日記:二人のわが子と、その個性」のコメント欄での次の言葉を、私の大切な人に捧げたい。

「自分を表現することができません」と言うぶんだばさんの言葉に対して、S嬢さんは「怖い、んでしょうね。怖い、んだと思う。誰から守るという意味で言えば、自分自身の視線からも守っているんでしょうね」と言われていた。

なあ君よ。
君も暗示にかけて日々を暮らしているよな。

現実では言えない自分を。
現実では表現出来ない自分を。
君は創作で表現していた。
言えない想いを忍ばせて誰かに届くように。

誰かに届いたとしても、それが自分の考えとは違っている事は当たり前に起きる。
だが、そうだとしてもそんな事は関係ない。
誰かに届くという事。
それが一番大事な事だと君は知っていたんだ。
君は本当は怖い物など何もないんだよ。
だから表現が出来るんだ。

君は暗示をかける。

世界で一番強い自分を。
世界で一番美しい自分を。
世界で一番頭のいい自分を。

そして、世界で一番愛される自分を。

暗示にかける事で君は強く生きていける。
それが幻想だとしても。
何時かそれは必ず現実の物となると信じて。
繰り返し繰り返し「こうありたい」と願いを込めて君は君だけの物語を思い描くのだ。
君は自分だけの物語を毎日紡いでいくのだ。

君自身を救う為に。
愛しい傷
「S嬢のPC日記:「かみあわない議論」に思う」のコメント欄で繰り広げられている事を読み、たった一つ思った事がある。

それはS嬢さんになら傷付けられてもいいと思ったという事。

他人から傷付けられて荒れた過去の私はもう何処にもいない。
此れからの人間関係で、どんなに相手から傷付けられようとも、相手を憎む事はない。
私が此れから選び取る人間から受けるだろう傷など大した事ではないと思える自信があるからだ。

私は此れから起こるであろう杞憂を指摘する人間を信用しない。
人は誰も他人を傷付けずに生きていく事など出来ないのだ。
傷付ける事を恐れる余りに何も言えなくなるとしたら、それは重大な言論規制に他ならない。

もっとも、過去に私から傷を付けられた人間には、この私の言葉も「あなたに言われたくない」なのだろうが。それでも私は言うだろう。

心寄せた相手から与えられる傷にさえも愛しさを感じる、と。
書く意義
「S嬢のPC日記:宛名の無い手紙」

上記のエントリは、私の友人達にもぜひとも読んで頂きたいと思い此処でご紹介いたします。

S嬢さんは、私が読んでもらいたいと思っている方に対して書かれているわけではないですし、私も勿論その様な事は分かってはいるのです。ですが、私は道ならぬ想いに苦しんでいる友人を救いたいと思っているのです。

そんなに彼女は潰されなくてはならない物を書いているのですか?
そんなに攻撃を受けなければならない行為をしているのですか?
それならば、もっともっと酷い方々も居ると思うのですが。
私は十把一絡げにしてしまう行為がとても嫌いです。
各々に対応した態度を取りたいと私は思います。

S嬢さん、私も拾いました。あなたの宛名の無い手紙を。
そして、私もそれを大切な人たちに流したいと思います。
他人に優しく自分に厳しく
彼女が好きで読んでいると言っていた君の書く物に、私は何時も「何言ってやがる」と思っていた。
最初は彼女が選んだというそれだけで嫉妬の対象。
何故なんだ。
どうして私ではなくその人なのだと。
分かっている。
私は彼女に声もかけていなかったから、彼女が私を選ぶはずもない。

最初はただの好奇心。
だが時折り妙に惹かれる言葉を紡ぐ。
反対にむかつく事もある。

今夜の私は「優しさ」について再び考えていた。
すると君も書いていたね。

そうだね。
大切な誰かが一人二人と増えていくと人は優しくなるものだね。
君はその優しさが自分にまで向けられる事を嫌がっているが、そんなにも難しいものなのか?
他人に優しく、自分に厳しくはそんなにも難しい?
確かに厳しさは孤独であれば保つ事は出来るだろう。
それは簡単な事だ。
だが、私なら他人に優しくしながら自分に厳しくある事を選ぶよ。

もっとも、今の自分がちゃんとそうであるかは自信はないが。
君へ
ずっと君を見詰めて来た。
あの崩壊した場所で君を見つけ、紡がれる言葉に惹かれ、矢も楯もたまらず声をかけた。

あれから二年以上は過ぎたか。
君という存在を知ってから暫くは見詰めているだけだった。
正直に言おう。
君の紡ぐ言葉に時には反発した事もあったんだよ。
だがそれを上回るほどに君に惹かれて惹き付けられて虜になった。
私も君のように誰かをどうしようもなく惹き付ける人間になりたいと思ったよ。
私を否定する人間さえも惹き込む人間に。

君に結婚について語った事もあったね。
とうとうその時が来たんだね。

おめでとう。
心から君におめでとうの言葉を捧げる。
触れ合う事出来ぬから支えられてきた
「音楽というのは、人を楽しませるものでもあるけれど、人を支えるものでもあるなあと思うなあ。」

「S嬢のPC日記:コード巻取り機能付きヘッドホン購入」でのS嬢さんのコメントだ。

その通りだ。
私も彼の楽曲で支えられてきた。
私が最も辛い時期に語りかけるよう届けられた言葉の数々。

正に生きる事とは如何いう事かを見せ付けてくれた尊敬すべき人だ。

勿論、実際に私を支えてくれた人達も居る。
だがしかし、彼は心の深い部分を支えてくれた。
それは実際に触れ合う事の出来ない存在だからだ。
存在さえも確認出来ない間柄であるからこそ、精神的に次元を超えて触れ合っていると私は信じているよ。

有難うをあなたに。

私は此処で頑張っているよ。
此処で自らを癒しているよ。

あなたのおかげだ。
あなたのようになりたいとそう思ったから。

だから有難う。
最大級の感謝を込めて、今夜もあなたの歌を聴く。
捩れた心
私の友人には所謂不倫と言われる恋愛をしている方もいます。不倫を恋愛とか婚外恋愛とか呼ぶ事に嫌悪感を示す方もいるかと思いますが、不倫であろうが不倫でなかろうが人を愛するという事はそれだけで立派な恋愛であるというのが私の考えであります。
相方や子供を苦しめているという事を振りかざして正義面を見せる方は、不倫を綴った日記などを徹底的に攻撃し潰して回っているようですが、他人の事など放って置けばよいのに、無駄な事をしているなあと私は何時も眇めた目で拝見させて頂いていますね。

S嬢さんが「S嬢のPC日記:ぶつぶつ」で「アンタの人生でしょ。勝手にやってちょうだいよ。と、思う。」と言い切っている方の方が寧ろ有難いと思うのですよ。
不快感を抱いているのは同じであると思うのですが、S嬢さんの態度の方が「大人な態度」であると私は思います。

日記などで不倫の事を書き、それを公にしている事に対して「書くな」とは誰にも言えないのだと私は思っています。それを言ってしまえば、それでは「書くなと書く事も書くな」と言われてしまっても仕方ないのではないでしょうか。
もっともこれは詭弁だと言われてしまうとは思いますがね。
正直に言えば「書くな」と互いに言ってもいいとは思っています。ですが、一言投げかけてそれでおしまいにしてしまう懐の大きさを持って欲しいと思いますね。

ところで、S嬢さんが最後に書いていた「ニョーボの「隙」を作ってるのは、亭主なんだろうな、と。」という言葉に、私は全くその通りだと思いました。結局の所、不倫をしてしまうという事は相方にも何らかの問題はあると思うのですよ。
私の友人の一人には夫から愛され大切にされて生きている方もいます。
その人には言い寄ってくる男性もいるのですが、全く相手にするという事はありません。
それは彼女の夫が本当に良く出来た夫であるからなのです。
不倫をしている私の知り合いのほとんどの方は、相方に非常に問題のある方ばかりです。
本当は、私の正直な気持ちでは、そのような相手とは即刻別れてしまえばいいという考えなのですが、それを決めるのは本人であるので、私は強く勧める事はしません。
私が尊敬するある方は「別れればいい」と言い切っていますが、私には言えません。
勿論、時々、この私でも嫌な気持ちになる程に自分勝手な不倫をしている方を見かけますが、だからといって一言忠告してやろうなどとは思いません。

好きにすればいいのです。
だから私は放って置きますね。

不倫の日記を攻撃する人の捩れた心など理解したくもないですから。
希望の所在、期待しないその裏に
親友よ、君にも読んでもらいたい。この記事のコメントにS嬢さんが書かれていた事を。「S嬢のPC日記:BOOKMARK」

「「希望は自分に対して持つもの」だよ?期待しない、期待されないってことは、「愛」の一つの形でもあると思うよ?期待しない、期待されないってことは、別の言い方で言うと、相手自身が決める、主体者自身が決めるってことを信じることでもあるわけだからね。」

これを読んで君を直ぐに思い出した。
君が私に何時も言っていた事だ。
だが知っていたよ。
「期待していない」と言いつつ、君は私に何時も期待していたと。
それを肌で感じていたから私は頑張れたのだ。

きっと君の気持ちは彼女に通じる。
そう信じたい。
そして、私の想いも彼女に届くよう、心から信じたいと思った。
一人か二人か、それは問題じゃない
私の知り合いのある女性は男のお子さんが一人しかおりません。
昔は周りから「一人ではかわいそうだ」とか「兄弟がいないと闘争心が生まれない」とか様々な事を言われたそうです。

彼女は自分が子供をちゃんと育てていく自信がなかったと言います。
もし複数の子供を持ってしまったらどちらか一方にしか神経がいかず、片方の子供を蔑ろにしてしまいそうだと思ったのだそうです。

S嬢さんの「S嬢のPC日記:映画「ハッピーバースデー 命かがやく瞬間」」を読み、その彼女の事を思い出したのですが、恐らく彼女もS嬢さんの記事に書かれてあったような事が起きてしまうのではと危惧したのかなと思いましたね。

確かに子供時代に他の兄弟が優遇されてしまった為、自分もまた親になった時、自分の子供に対して同じような虐待をしてしまうという恐れはあるでしょう。ですが、それは絶対にそうなるとは限らないのも確かな事であります。
巷では、たまたま虐待している親の過去がそのような過去だったからとそのことばかりを取り上げて騒ぎ立てますが、それが多いとは限らないのだと思います。
恐らく、S嬢さんの息子さんのように一時期は荒れたとしても、親の気持ちが何れは子供に届く時が必ず来るのだと私は思いますし、そう信じたいです。

そういえば、コメントに「母は話したい事あるのだろうけど、私のダメな部分を注意するのに忙しく(笑 本心を語る暇はない。」と書かれていた方がいましたが、私の友人は、昔は母親には本心が話せず苦手だったと言っていました。それは、矢張り子供の頃は自分の駄目な所を怒られてばかりで、萎縮してしまい話せなかったのだそうです。
ですが、今は自分の夢や自分の気持ちを素直に話せるようになったと言っていました。
それはもう子供の頃のように、注意される事がなくなったからだと彼女は思っているらしいのですが、私から見れば彼女は変わっていないと思うのですがね。
そう思うと、確かにS嬢さんの言われる通りで、子供に苦手だと思われる親は反省しなければならないのだろうなと思いました。

話は変わって蛇足ながら、記事内の「べーべー」という擬声語が新鮮でした。「べーべー」が好きです。