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↑の写真提供: やちこさん
ただ聞いて欲しい
「S嬢のPC日記:昨夜の電話」を読んで思った。

親友よ。
君程、何も理由も聞かずにただ聞いてくれるだけの人はいなかったな。
彼女達も君が受け入れてくる事を分かっていて、それで君に何もかも話してくるのだろう?

親友よ。
また君が女性に慕われる訳が分かったよ。
反論は許さないぞ。(笑
私の生きている姿をあなたに見せたい
「S嬢のPC日記:「生きる」ということ」へトラックバックされた「Carvaria 生きるということ」で展開されるS嬢さんの言葉を読み、生きるという事について考えてみました。

かつて「あなたは世界に愛される為に生まれてきた」という言葉をくれた人がいました。
誰も自分を愛する者はいない、誰も自分を気にかけてくれる者はいない、誰も自分が生きている事などに関心を持ってはくれないと、そんな思いに囚われる事は、誰しもある事でしょう。

人は誰もあなたを愛していないわけではないと言うかもしれません。誰も愛してくれなくても、あなたを生み出してくれた親だけは愛してくれるだろうと。
ですが、残念ながら、たとえ親であっても絶対に子を愛するものなのだとは誰にも言えないわけであります。
この世で親だけは自分を愛してくれると思っていたのに、愛していてくれたわけではなかったと気付いた時、どうやってその辛い思いから抜け出すか。

それが「世界があなたを愛している」ということなのです。

世界があなたを愛しているとは、その人自身が己を愛するということなのかなと私は思いました。

ただ、自分自身を愛する事が出来ない方もいます。
私の大切な友人にも己を愛する事が出来ずに、自らの死を望んでいる者がいます。
幾ら「あなたを愛しているよ」と伝えても、それでも生き続ける事が困難で何時も死を身近に感じて死ぬ時の事ばかりを考えている。

それを見続けなければならない辛さを誰が想像出来るでしょう。

大事な人の為に生きてくれと言っても、それさえもその人の足枷としかならない事実。
分かっています。その人は心の病に罹っているから。
そんな時は、足枷になる言葉をかければかけるほどその人を追い詰めてしまうのです。

私も人並みに生きていくのが辛いと思う事もあります。
ですが、私の尊敬するある人が言っていた言葉を胸に抱いて、私は這ってでも生き続けようと今は思っています。

「生きる事を謳歌せよ。それを生きて欲しいと願う大切な人に見せ付けよ」

そこには言葉は必要ないのです。
私がしっかりと地に足を付け生き続け、生きる事はこんなにも楽しい事なのだと見せ付ける事で大切な人が生きようと思って下さるのなら、私は生き続けましょう。

それが私の生きる理由なのです。