Photo: 「無敵の心身」
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
何時でも罪悪感こそが罪なのだ
あの日、君からメールが来て嬉しいと同時に複雑な気持ちになったと言ったが、もしかしたら未来の私達を予測してその様な気持ちになったのだろうか。

それを思うと、運命というやつは残酷だな。

あの時、あんな事さえ起きなければ、恐らく君はメールを送ってくる事もなかっただろう。
いや、あんな事が起きたとしても、私が日記にその事を書かなければ君は私に声はかけなかっただろう。

厳密に言うと、複雑に思ったのは君からのメールではなく、他の友人からのメールでそう思ったのだが、その肝心のメールは一体誰が送ってきたものだったのか覚えていないのだ。情け無い事だ。

元気になったと言うしかないじゃないか。
慰められたら元気になったよ、と。
本当は書くべきじゃなかったのかもしれない。
だが、あの頃の私にその様な事が分るか?
今なら、現実で何があろうとも心配されたくないから今の私の状況を公で書き記そうとは思わない。
しかし、あの頃の私は心配事があればそれをそのまま書くのが当たり前だと思っていた。だから、そのまま思うがままに書き連ねたものだった。

あれは、罪悪感を抱いていた私のただの言い訳でしかなかったのに。

もしあの時、君と再び繋がりを持たなかったのならと考える。
それを考える事は無駄な事だと分っていても、それでも考えずにはいられない。
もしあの時、君と再び繋がりを持たなかったのなら、もしかしたら私は此処で書く事もなかったかもしれない。

それを思う時、不思議な気持ちに囚われる。
恐らく、そうであれば、私は今親しくしている人達のほとんどと親しくする事もなかったかもしれないな。
あの場所でずっと私は私のまま日記を書き続けていたのかもしれない。
戻りたいとは思わないが、時折りそんな未来に思いを馳せる事がある。
通り過ぎていった人々の優しい言葉を思い起こす度に、ちくりと胸の奥が痛むのだ。
とは言え、どちらにしても結局は、君とは一緒に歩けない未来しか無かったという事なのだが。
恐らく、君は私の言葉を複雑な想いで受け止めるだけなのだろうと思うよ。あの時の私のように。

君は今頃、何処に居るのだろう。
元気にしていてくれればいいが。
スポンサーサイト
敢えて言う
そこまで言うなら何故言わない?

年寄りも早く駆除してしまえと。

どんなに小汚いガキでも可能性はある。
先のない年寄りより優遇されるべきだとは思わないか?
子供が嫌いなのは私もだよ。
だが年寄りよりは生きる価値はあると思っている。
これも非難されるんだろうな。

世界一の長寿国、本当にそれでいいと思っているのか?
日本はこのままいけば滅びるぞ。
其処に居てくれるだけでいい
私の友人が日記に、子供の頃に虐待を受けていた女性の日記を読んだと書いていました。どうやら、その女性は今は良い家族に恵まれ、自分の子供も愛し、幸せに暮らしているようです。
友人はその日記を読んだ影響か、自分の幼い頃の事を夢に見たそうです。そうですね、彼女も子供の頃に親で苦労をしたそうなので、恐らくシンクロしてしまったのでしょう。

それを読んで、私の大切なもう一人の友人のご主人の事を思い出しました。
その友人のご主人も幼い頃に親元で暮らしていたわけではないという事でした。詳しい事は友人もなかなか聞けなかったという事ですが、恐らく金銭的な事で親は子供を見る事が出来なかったのでしょう。彼は中学・高校と親に一切学費を払わせる事なく、奨学金と自分のバイト代で卒業したという事らしいですから。

幼い頃、当たり前に傍にいるはずの親がいないというのはどういう気持ちなのでしょう。私には想像もつきませんが、相当に寂しいものだと思います。

友人はご主人と結婚する前から、仲間との付き合いよりも家族と何かの行事がある場合にそちらを絶対的に優先する彼の事を不思議に思っていたそうです。友人は家族より何より友達を取る人間だったので。
ですが、彼女が結婚して分った事は、家族を何よりも大切にするご主人は、その幼い頃の自分の気持ちがずっとトラウマとして残っていて、それで家族というものに対して特別に執着心を持っているのだという事だったのですね。彼女はご主人に言われたそうです。

「其処に居てくれるだけでいい」と。

兎に角、自分より先に死んでくれるなと、お前が楽しく笑って生きて俺の傍にいてくれれば、俺は頑張れるのだからと。

彼女はこんなにも愛されているのだなと、私も嬉しく思います。
納得の行く物を書いて欲しい
S嬢さんのブログで以前「S嬢のPC日記:電車の中で」というエントリが上げられていたのですが、それに対して、どなたかがS嬢さんに「男性差別者」と捨て台詞を残しているのを目撃しました。

このエントリの何処が「男性差別」になるのでしょうか?

「女は甘えるな」というHNで書かれていたということは、恐らく男性の書き込みなのでしょう。書かれた方の情報が全く無いので、男性であると断言は出来ないとは思いますが、それと同じく女性であるという証拠もありません。と言いますか、これを女性が書いたとしたら、何故男性を庇うのか理解に苦しみます。

確かに、男性全てが電車で痴漢行為を働くはずはないわけです。女性側にも、やられてもいないのに「この人痴漢です」と、明らかに罪も無い男性に犯罪者としての烙印を押してしまう大馬鹿者もいる事でしょう。しかし、だからと言って、痴漢にも遭った事のない方が「女は甘えるな」と言うことは、誰が許しても私は許す事が出来ません。

痴漢に遭った事のある方が、その様な発言を果たしてするものでしょうか?

そして、痴漢に遭った事も無い女性、或いは男性が「女は甘えるな」と言うとは、その方は何様のつもりでしょうか。
私は、書き込みをされた方を「痴漢など遭った事もない」と断定しましたが、断定されても仕方ないと思っております。断定されたくないのならば、何故「女は甘えるな」と言うのか、S嬢さんを「男性差別者」と言うのか、きちんと筋道を立てて弁論して頂きたいと思います。

その様な書き捨てなどせずに、納得の行く物を書いて頂きたいですね。
宇宙に想いを馳せて
宇宙航空研究開発機構(宇宙機構)は10日、エックス線天文衛星アストロE2搭載のM5ロケット6号機を打ち上げたそうです。
宇宙機構はその衛星に、古代中国で作られた星座図「星宿」に由来する四方の守護神の一つである「朱雀」から「すざく」と命名したということです。

東の青竜、西の白虎、南の朱雀、北の玄武は有名ですが、その名の通りに「すざく」は南の空を研究対象とするようです。
そこには乙女座銀河団があるそうですね。今夜も生憎な天気なので星空は望めませんが、たまには星空を眺めて果てしない宇宙に想いを馳せるのも良い事でしょう。

そう言えば、今日はTVで宇宙飛行士の野口聡一さんが映っていました。彼は小学校の文集にロケットの操縦士になりたいと書いていたそうです。何でも、当時の担任の教師は野口さんの左利きを直させたそうですが、結局は直らなかったようですね。私の知り合いにも何人か左利きの方がいますが、案外と左利きの人は多いのかもしれません。

その教師は、野口さんを誇りに思っているのでしょう。ご自分の孫に彼の姿を見せては「夢を持ち続けるのはこんなにもすごいことなんだ」と語っているということです。
ですが、敢えて言うならば、夢は持ち続けるだけでは駄目なのだと思います。
勿論、根底では持ち続けなければならないのですが、その夢を実現させる為に努力をしなければならないと思うのです。
中には努力無しで夢を実現させてしまう方もいますが、それはほんの一握りでしょう。

きっと、野口さんは夢を実現させる為に努力をしたんだろうなと思います。とは言え、意外にも好きだったから夢中になっただけ、好きな事は苦労も苦労とは感じないと思っているかもしれませんね。

14日には「ディスカバリー」が打ち上げになりますが、ご無事に戻られる事を心から祈っております。
孤独か孤立か
「Tritsch-Tratsch~番外地~ 孤独と孤立」を読んで思ったのですが、孤独と孤立の違いが私には分りませんでした。どちらも言葉だけを見れば同じではないかと思ったので。そこで辞書で調べてみました。

孤独とは「ひとりぼっちで、他人とつながりがなく、さびしいこと」と書かれてありました。
そして、孤立とは「助けや仲間など、他とのつながりがなく、ひとりでいること」と書かれてありました。そこで先の記事でも取り上げられていた言葉を考えてみます。

「ひとは孤独に耐えられるからといって、孤立に耐えられるとは限らない」(元々は「404 Blog Not Found危ない格言者」で書かれていた言葉。榎並重行という方の「危ない格言」という書物に書かれていた言葉らしい)

これによれば、孤独には耐えられるが孤立には耐えられないと私は解釈したのですが、辞書の記述を読んで私が感じた事は「どうも逆のような気がする」だったのですね。

孤独はさびしい、しかし孤立はさびしいわけではないと辞書に書かれた事で私は感じたわけです。
とすれば、私にとっては「孤立は耐えられるが、孤独には耐えられない」としたほうがしっくりくるようなのです。
私は、何よりも「寂しさ」を感じる事が嫌いです。
一人で居る事には寂しさは感じないのですが、孤独で居る事には我慢が出来ません。
そして、その孤独は、私自身が「孤独である」と感じる事に他なりません。
たとえ、誰も私に声をかけて下さらなくても、私が誰かの存在を感じている事で私は孤独ではないのです。それには他人は関係ないのですね。
全ては私がどう感じるか、それに尽きるのだと思います。

そんな事を思った雨の七夕は、意外にも私には優しく感じられました。誰かの優しい涙のように。
今日という日に
あなたに救われた私の存在はあなたのおかげで生き続けている。
あなたという存在に関わった事は私にとってどういう作用を及ぼしたのだろう。実の所、私にはそれがよく分っていない。

何故あなたに惹かれたのか。
何故あなたの事が気になるのか。

その理由を分っていたつもりだった。
だが、ある友に「何時の間にそんなふうになってしまったのだ?」と聞かれ、成る程そんなふうに不思議に思うものなんだなと思ったものだった。

あなたに救われたからとは言えなかった。
それを言う事は、その友にとってはいい気はしないことだったろうから。
友は、自分こそが救っているのだと思っているのだから。
勿論、友も私を支えてくれていたよ。
恐らくあなたより一番に支えてくれた人だろう。

だがそれだけでは駄目だったんだ。
まだあなたの存在を知る前は他が私を救ってくれていた。
今はそれがあなたに代わってしまったというだけ。
つまり、もしかしたら何時かはまた他に代わってしまうのかもしれないのだな。

しかし、今のこの気持ちは確かに本物だ。
その今の気持ちだけを私は大切にしたい。
何時来るか分らない破局の事などどうでもいいと思える強さが、今の私には必要ではないだろうか。

そんな事を今日という日に思ったよ。
あなたは今頃どうしてる?
君への手紙
君がこの世からいなくなってしまってから、随分と時が経った。
自らの生を断ち切って世界と決別してしまった君。
何故君がそうしなければならなかったのか、私には分からない。
傍に私が居たからといって君を救えたかどうかも分からない。
だがきっと私に出来る事ならばと思ったことだろう。

世界は君がいなくなってしまっても動き続けている。
当時の私にはそれがとても辛かった。
こんなに空は青いのに。
こんなに外の世界は自然が溢れてるのに。

君だけがいない。

君の幼い笑顔が私に向けられ、そして幼い声が私の名前を呼ぶ。
そんな夢を見続けた。
あの時に見た君の夢を私はずっと忘れずにいる。
時折り思い出してはその意味を考える。

未だに私は信じられない。
君がいないなんて。
君がこの世界にいないなんて。

写真の中の君はこちらに向かって微笑んでいるのに。
写真の中の私も一緒に微笑んでいるのに。
写真の中の空は青く何処までも青く抜けているのに。

君は何処に行ってしまったのだ?
そして私は何処にいるのだ?
私達という存在はいったい何なのだ?

君だけがいない。

君はいないのに私は居る。
その私も何時かはいなくなる。
その時、今の私のように誰かに言わせてしまうのだろうか。

君だけがいない、と。

ねえ君。
君は其処にいるのかい?
空の青さに溶け込んで、私を見つめてくれているのかい?
君のことが好きだったんだよ。
君の年齢は二十歳で止まってしまったが、私は二十歳の君を見ていない。
君は何時までも私の中では子供のままだ。

君はもういない。
いないが、私の中で私が死ぬまで微笑んで生きている。
君という存在を知る者、君の肉親、君の友、そして私、その私達の心の中で私達が生き続ける限り、君は生き続ける。

君はいなくても生き続けているんだね。

  

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。