Photo: 「無敵の心身」
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「ありのまま認める」が分らない
「ありのままを認める」という事、「ありのまま認めてその先を見つめる」という事、私にはそれがどういうものかが分りません。
私の友人も私と同じでそれが分らないと言います。
彼女は小説を書き、それを投稿し続けているのですが、それが認められる事がありませんでした。
その度に全てを否定された気持ちになり、彼女はどうすれば選んでもらえるのか、どうすれば他人の関心をかう物が書けるのか、そういう事ばかりを考えるようになっていったのです。
ですが、他人にはそういう思いは一切見せることなく、自分は自分である、ありのままの自分で挑戦すればいい、認めてくれない者など知らない、これを認められぬ者の目が節穴なのだと強気な態度を見せていました。内心でぼろぼろになったプライドに嫌悪感を抱きつつ。
私はそんな彼女の内心を知る数少ない者なのですが、彼女が己自身を認められぬ気持ちはよく分るので、あえて「そのままでいい」とか「ありのままでいい」とか耳に心地よい言葉はかけぬようにしてきました。彼女には甘い言葉は毒となる事を知っていたからです。
彼女が他人に優しい言葉をかけられ、癒されるのをずっと見続けてきましたが、その度に彼女はどんどん弱くなっていくのを私は感じていました。何れは彼女の周りから人々は立ち去るだろうという、彼女に傷付けられた者の彼女への捨て台詞が実現する日が来てしまうのではと。
「ありのままでいればいい」と言うのは簡単です。
ですが思うのです。「ありのままでいる」為にはそれだけの強い心がないとありのままではいられないのではないかと。



どうしても認めることができない。それはどういうことなのか。では一体どうすればいいのか。どうすれば認められるのか。口では「認める」と言う事は出来る。言うだけならば簡単に誰でもが言える。だが、自分は本当に認めているのか、その自信がどうしても得られない。どうしてなのだ? 何故なのだ? 何故認められぬ? 他人じゃない、自分だ、自分が認めないのだ。だから果てしなく落ち込んでしまい、命までも粗末にしようとする。愚かだ。本当に馬鹿だ。泣きたくなるほどに大馬鹿者で、私は抱き締めたくなる。

彼もそんな気持ちになったのかな。そんな気がする。



繰り返す過ち、繰り返される繰言、そんなものを見せられるのを嫌がる者達の心無い言葉の数々に心傷付けられる君。
繰り返してしまうということは、ありのままを認め受け入れた者のする事ではないと私は思っているし、彼女もまたそう思っているのです。
彼女の知り合いが、またサイトを消し去ろうとしていました。今までにも何度かそういう事はあったようですが、今度は消すのではなく休止にしたようです。その方もまた繰り返す人であり、どんなに彼女が才能を褒めても一時の凌ぎにしか過ぎず、己の才能を疑ってしまうようなのです。
ただ、才能があるから己に自信があるという人は誰一人としていないのですね。葛藤しつつ、一歩一歩歩いていくしかないのですね。

願わくは「ありのままでいる」という言葉に縛られずに、私の友人もそのまた友人も心穏やかに自分の好きな事を続けてくれればいいなあと思います。そうですね、それは、私にも言えることなのですがね。

以上「S嬢のPC日記:「ありのまま」と「その先」」「明けぬ夜の夢 書き続けるということ」の二つの記事を読んで、私の思った事を綴ってみました。感想にもなっておりません。申し訳ございません。
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決して見せる事のない笑顔
私は、普段はTVドラマは見ないのですが、巷でも話題に上っていた「女王の教室」は見ていました。
私の友人も中学生になる息子さんと一緒に見ていたそうですが、特に息子さんは毎回熱心に見ていたそうです。

この度、最終回を迎えたということで、皆さんも日記で取り上げて書かれていたようですが、「Tritsch-Tratsch - 「女王の教室」最終回」で書かれてもいましたが、「仰げば尊し」が歌詞の内容が良くないという事で卒業式では歌わないのだという事を私は初めて知りました。
私の母校では「蛍の光」を歌っていました。他校では「仰げば尊し」を歌っていたのですが、私はあまり好きではありませんでした。
自分が卒業をする時「蛍の光」を歌えて本当に良かったと今でも思っています。
リンク先の筆者の日記によれば、その歌がよくないのは「歌詞が難解で分かりづらいことと、歌詞の内容が封建的で時代にそぐわないから」ということらしいのですが、「君が代」といい、この歌といい、何故そのような馬鹿馬鹿しい事を言い出すのでしょうね。筆者も代わる歌を決めるという事に反対をされたそうですが、それに賛同する方はいなかったようですね。嘆かわしい事です。歌には罪は無いと思うのですが。

私も、どちらかというとあの鬼教師の側に考えが寄っていると思います。ですが、全てを肯定するわけではないのは、この筆者と同じなのです。
社会の厳しい現実を見せ付けるのはまだ早いと教育委員会の方は仰っていましたが、もう6年生でしたよね。早いということはないと私は思いましたが。
最終回では、先生に会いたいが為に何か問題を起せば先生が来てくれると思い、援助交際をわざとして見せるという何とも浅はかな事を仕出かす子供達でしたが、援助交際をする小学生も現実にいないわけではありません。小学生でもSEXをする子供もいるでしょう。そして、もう小6で子供を作る事だって出来るのですよ。これの何処がまだ早いというのでしょうか。

子供に甘やかしは必要ありません。極端な管理は良くないのでしょうが、ドラマの教師のやり方はそれほど間違っているわけではないと思います。ですが、融通が全く利かないというのは問題があるので、間違ってはいないとはいえ、「良い先生」とは言えないでしょうね。ただ、良い先生がいいというものでもないし、良いと思われていた先生が実は子供の成長にとっては良くなかったのだという事は良くある事です。
優しい先生と言われていた先生が「それは後になってから子供達が決めることだ」というような事を言っていましたが、本当にそうだと思います。

私も子供の頃にとても厳しい教師に国語を習った事があるのですが、まさにあのドラマの先生のように鬼のような先生でした。
彼の授業では、全く気が抜けない張り詰めた空気が教室に充満しており、短い時間で神経がまいってしまったものでした。
彼は体罰は全くしなかったのですが、兎に角、顔の表情が強く、怒らせると鬼のような表情になり、声もこれがとても大きくて怖かったので、誰も逆らおうとするものはいませんでした。
最近はそういう先生も少なくなったのでしょうか。よくは分りませんが。

ところで、他の方の日記では、子供が頑張った時くらいは笑ってほめてやればいいのにと書かれている方がいましたね。
確かに、それはそうなんでしょうが、このドラマではあまり効果的とはいえないでしょう。
一番最後に見せた先生のあの笑顔が生きてくるのは、それまで一度も笑わなかった事によりとても印象深く思えましたので。そして、それをドラマの中では誰にも見せていないという事が更に心に残るなあと思いましたね。

私は、このドラマを見ていて、一番心に残ったのは、最後に見せた先生の笑顔と、主人公の少女が見た「優しい先生の夢」です。
決して現実では見せる事のないそれらを、登場人物達は知らないのに私が知っている───それがとても切なくて心に残ったのですね。
夢の中のあの優しい先生は、確かに現実の先生の中に息づいているはずですが、それを見せることなく彼女は子供達に接していく───それにとても感じ入るものがありました。

賛否両論のあるドラマでしたが、私はとても好きでした。
友へ
足跡を残してくれて有難う。
あなた方の事を心配していたよ。

彼女の伝言を此処に。

「年を取って、まだ互いを大切に思う間柄だったのなら、温かい日差しの中、縁側で茶を飲みながら私の事を話してほしいな。私の書いたあの小説を印刷したものを二人で読みながら、彼のあの歌を小説の二人のように聴いてほしいよ。きっと彼もそれを知ったら小説の彼のように嬉しく思うんじゃないかな」

彼は言っていた。
離れたくないと思うなら離れる必要は無いと。
別れてみるのもいい。
それで元に戻らなければそれはその時だと。
そして、離れてみて分ることもあると。
どうしても離れられないのなら、離れる事は無い。
それを決めるのは他人ではなく、自分達なのだから。

もっとあなた方の関係に自信を持って欲しい。
謙虚さは過ぎるのもよくないからね。
適度な謙虚さと適度な自信を持ち合わせて、これからも適度に浮き沈みのある関係を保っていくがいいよ。

  

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