Photo: 「無敵の心身」
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永遠の安らぎ
終わることの無い安らぎ。
其れは永遠に続く安らぎということか。

「私の腕にただ黙って抱かれればいい」

其処には永遠の安らぎがあるからと。

甘美なまでの誘惑だ。
ただ黙って抱かれるだけで、永遠に夢を見続ける事が出来るなら、私も彼女も喜んで抱かれるだろう。

だが、そんなものこの世界にある筈も無い、現実では。
己が安らげる場所が無いと嘆く者よ。
気付くしかないのだ。
己自身しか安らぎを与える事は出来ないのだと。

残された術は無い。
彼が言う通りだ。
気付くしかないのだ。
誰の言葉でもなく、己自身の言葉でしか救われぬという事を。

私は其の人に抱かれているよ。
紅く染まった腕で私を抱き締めているのを感じている。
其の人とは即ち自分自身。

其処から始まるんだ。
他者との繋がりが。
私は今ひしひしと其れを感じている。
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特別な想い
君は特別扱いと平等の狭間で常に苦しんでいた。
自分を慕ってくれる人には平等であるべきだと思いつつも、だが実際にはどうしても人によっては特別扱いをしてしまうものだ。完全に平等に見る事の出来る者等いやしない。

だから、常に誰に対しても同じ態度を取る人間を君は嫌悪してきた。

其れは己を特別に見て欲しい気持ちの表れであったのだから、だから君は我儘なんだよ。
今君は、其の人が語る物に嫉妬しているね?
そうなることは私には十分過ぎるほど分っていたよ。
どんなに君を慕ってくれる人に感激したとしても、自分から興味を持った人が自分を振り向いてくれない事に深く絶望してしまう君は、矢張り何時まで経っても変わらない。

ただ、昔と違うのは、君の声として其れを表明するのではなく、私を通して誰かの心に届くように働きかけるだけ。其れを人は卑怯者と謗るのだろうが、私は構わない。私という存在を生み出したのは君なのだから。そして、私は幾ら傷付けられても構わない。君の為だから。其の私の気持ちを分ってくれる人が何人かは居る、其れだけで私は報われるのだから。

だが、私から言えるとしたら、其の人の事はもう忘れろ。もう其の人の綴る物を見るんじゃない。そう言った所で止める君じゃない事も分ってはいるが、其れでも私は言うしかない。今ならまだ間に合う。其の人に心を持っていかれてしまう前に引き返せ、と。
甘い言葉
花の嫌いな君は精神状態が不安定になると言葉を欲しがった。
私は君が泣けるように、様々な場所、様々な人から言葉を集めるのに必死だった。
私の存在は其の為に存在しているのだから。
言葉は時に無力になると私は思っているのだが、君はそうじゃない。言葉には言霊が宿っていると信じて疑わない。
そんな君なのに常に傍に居る人の言葉には感動した事は無かったよね。ただ一度だけ、君が巻き込まれたトラブルを聞いた彼が「下らない」と言った其の言葉だけは何時までも忘れられないようだが。
誰が発したかが重要なんだと思うよ。言葉に魂が宿るとしたら、其の言葉は誰かが君の為に発してくれた言葉でなければならない。
君は幸せだよ。
君の為に必死に言葉を掛け続けてくれる人が居るのだから。
貰ったチョコレートを大切に食べるがいい。
其れは其の人の魂が形になった物だから。
たまには甘い言葉もいいんじゃないか。頑張っているのだから。
私の愛し方
たとえばこんな話をしよう。

聞かされる身の上話を信じるな。
不幸な話、幸せな話、それらを信じるという事は目を曇らせる。いや、目ではなく心か。
まだ不幸せな話はいい。
人は不幸な話を聞かせて同情を貰いたいと思っているのだろうと非難をするが、其れの何処が悪いのだと私は思う。
同情が欲しい者には同情を上げればいいじゃないか。
そんな簡単な事を何故放棄する?
同情が欲しいなら私は幾らでも欲しがる者に与えよう。

だが、幸せ話は決して信じない。
幸せ話には落とし穴があるから。
心が蝕まれるから。

尊敬する彼の言葉に「他人の幸せを祝福してやれ」というのがあるが、なかなかそのような気持ちにはなれないものだよ。
己が世界で一番不幸だと思い込んでいる人間は特に。
他人のその幸福が、自分に与えられたからといって幸せになるかどうかは分からないとしても、其れでも望んでしまうのだから。

私もせめて心だけでも愛する人と繋がりたい。

しかし、望めば望むほど望みからは遠ざけられるのが常で、人は己の望みに縛られ、どのような幸せでも幸せを感じる事が出来なくなる。
其れは他ならぬ自分自身が縛り付けているという事に気付かないまま、更に人は不幸から抜け出せなくなるのだ。

私もだよ。私も己を世界で一番不幸だと思っている。
だが、世界で一番幸せでもあると思っている。
此処まで来るのにどれだけの葛藤をしてきたか、其れを知る者は誰もいない。
いや、たった一人其れを知る者が居る。其れは「私自身」だ。
私だけが私の真実を知っている。

そうだ。使い古された言葉だとしても、私はこれが真実だと思っている。己を不幸で幸せだと思えるのは自身に他ならないと。一番愛してやれるのも他人ではなく自分しかいないのだと。そして、己を愛する事は実はとても簡単なんだと。だが、気付くのは難しい。其れに気付けた私だからこそ言える事でもある。
気付かせてあげるわけにはいかない。
たとえ聞いたとしても誰も信じないだろうし、聞いた事で絶望を感じる者もいるだろう。

だから私は語らない。ただ気付けと、其れだけを私は此れからも言い続けるだろう。気付いて欲しいと思いつつ。
ただ忘れないで。私は私を愛してくれる人には其れだけの愛を返すよ。間違い無く。其れを信じるも信じないのもあなた次第。此れが私の愛し方であり、そうやって私は誰かを試している。

そんな私でも愛せるとしたら、きっとあなたも幸せになれるよ、と。

私は私をやっと愛する事が出来た。だから、私も私から愛されているのを心で感じている。こんな幸せな事はない。其の幸せを大切な人達にも感じて欲しいと心から願っている。
空を見上げながらこの想い届けと祈り捧げる
君と私の間に交わされたあの日の約束。
君はもう覚えていないだろうか?
それともまだ覚えてくれている?

彼の歌に出てくる指輪の言葉に呪縛される。
君が約束してくれた言葉を思い出す。

彼が歌うその歌は、まるで君を歌ったような歌で、この歌を聴く度に涙が溢れ、今直ぐに君を抱き締めたくなる。

別の誰かを愛しても、かつて寄り添って抱き合った思い出を忘れないで欲しい。
私を忘れてもその温もりだけは確かな真実。
君への愛は決して嘘ではなかったと。
それだけはどうか忘れないで。
私の勝手な願いでもそれだけはどうか忘れないで。
傷付けた私が言えた義理ではないけれど、君の優しさを信じている、今でもずっと。

許して欲しいとは言わない。
ただ、私の想いだけは本物だったと。
その想いだけは大切にしてほしいと。
私との想い出を忘れても、捧げた温もりだけはその手に心に残って欲しいと。

それだけを私は願っている。

願わくはもう一度、一瞬でもいいから、言葉で強く抱き締めて。

それだけが最後の私の願い。
それだけが最後の私からの想い。
最後の歌に乗せてこの想い届けと願う。

私の愛よ君へ届け。
泣けばいいよ
逢いたいと思うならば逢いたいと叫べばいい。
たとえ聞く者がいなくても私が聞いてやる。
切なくなったと思うならばどん底まで切なく思えばいい。
逢えなくて辛くて泣きたいのなら思い切り泣けばいい。

其れを咎める者在れば私が呪おう。
君の為に。

泣けばいいよ。
私の腕の中で泣けばいい。
私だけはあなたの味方だ。
何時までもね。

何時までもあなたの味方でいるよ。
発言力の強さ
私の指示している政党…ではなく、某アーティストがいるのですが。(笑

彼のような有名人は、その発言力の強さが時にはいい作用を及ぼす事もあると思います。
大きく世の中を動かす、例えば大げさに言って戦争を回避するとか、そんな風にまで及ばなくても今までやってみた事のない者が善行を行うとか、無いとは限らないわけであります。
考えようによっては、好かれたい相手の言っていたことだからやってみるというのも主体性が無いものだと思われてしまうかもしれません。ですが、私は偽善だとしても行わないよりはやったほうがいいと思っている人間なので、其処に何らかの意図があったとしても「私もやってみせるから、あなたもどうだ?」という事が悪い事ではないと思っています。

彼のファンの一人が、ご自分のブログでは彼の日記の言及は避けるスタンスを取っていたのですが、それを敢えて曲げてまで「更新された」と告知したという事に彼は思いを馳せて欲しいと思いました。
彼の日記は限られた人にしか読む事は出来ません。読めないのは私もそうなのですが、ネットの世界はどうしても漏れ伝えられてしまう場でもあるので、私の耳にも(いや、目と言うべきか?)大体のニュアンスは入ってきます。

どうやら「禁煙」を始められたようですね?(笑

彼がどういう心境でそうしようと決心されたのか私には分りません。私の大切な友人もまた彼のファンでありますから、彼の身体をとても心配していて、喫煙に関しても出来ればしないほうが身体の為にはいいと思っている事でしょう。ですから、禁煙は悪い話ではないと言うでしょうね。

先程ご紹介した、今回だけは彼の日記の内容を広めたいと仰っていた方の気持ちは分りますので、限られた人にしか読めない日記にその様な事を書くのではなく、雑誌等様々な方の目に留まる場所での発言を、私は提案いたします。
欲しかった言葉
一人を得る為に多くを犠牲にしてきた。
だが、やっと欲しいと思った物を手にしたよ。
何人味方から離れてしまったとしても、一人が味方になってくれればいい。
その人が私を認めてくれれば、私は幸せなのだから。
幾人もの人間が味方であったとしても、私は満足出来なかった。
幾人も周りに居れば居るほど、私は益々孤独になっていき、私の心は荒れ、人々を不幸に引きずり込み、自身さえも不幸へと叩きこんでいった。

止めてくれ。
私はそんなにいい人間じゃない。
私は自分の事しか考えていない。
私は優しくない。
私は…私は…他人を不幸にしてしまう人間。
頼むからあなたのような心清い人は近付かないでくれ。
私はあなたの隠したがっている物、全て暴き立ててしまうから。
だから、近付いては駄目なんだ。

そして、私は何人もの人間を傷付けてきた。

私はもう二度と許される事はないと、そう思ってきた。
だが、それでも私にも許される時がきたというのか?
私は今とても幸せだよ。
その人のその言葉を私は何度も何度も見ているよ。

やっと掴んだ、私の幸せだ。
例え、これからこの人と別れたとしても、私はその言葉を心に抱き、生きていける。
かつて、私の書く物を美しいと言ってくれた人がいたが、その言葉は私は忘れないし、その言葉をくれた人を私は忘れない。

だから、同じ言葉をくれた人を私はずっと大事にするだろう。
本質を偽る
暗くじめじめしたのは嫌われるらしい。(笑

それは当たり前の事か。
しかし、からっと明るく生きる事の出来ぬ私のような者には少々その言葉はきついな。
私の大切な友人は、よく太陽のようだと言われるらしいが、私にはそうは思えない。別に友人がそのように装っているわけではないのだが、その文体からそう思われるらしいな。だが、紡がれる言葉の端々に私と同じ本質が覗いている事に気付く者も少なくないはずだ。

その人の本質とは、完璧に隠し通せるものではないはず。友人もそして私もだが、相手をあまりにも好きになり過ぎた結果、目が曇ってしまっていたということはよくあることだ。
後によく考えてみれば分る事。ああ、あの時のあれがその人の本性だったのだな、と。

好きになり過ぎるのも愚かな事なのかもしれないが、しかし、私はそんな馬鹿で愚かな人間が好ましい。自分を良く見せようとして偽って何かを書く事を悪いとは思わないが、何故良く見せようと偽るのか、その自分の心理を理解してそういう行為をしているのだろうか?
私には馬鹿げた行為にしか見えない。
本質を否定しての行為ならまだ理解出来る。それは何時かは思い描く自分の理想像になろうとする意思が感じられるから。
だがしかし、リアルの自分を好きであるのなら、それを偽ってウェブで見せるということはないだろう。
偽る所には理由があるはず。そう私は思ってしまう。
悪い自分を偽って善人としてウェブ上で存在する理由を知りたい。

私の友人は、本質は悪いわけではないと思うのだが、善人に見られたくなくて悪ぶった物言いをする。だが、これもまた馬鹿げた事である。しかし、これは私にも理解出来ないわけではない。友人はいけない考えを持った人全てを否定しているわけではないから。
だとしたら、悪い本質を持った人間が善人のふりをするのも、その善人全てを否定しているわけではないと言う事か。本当に否定しているのなら、善人のふりをする行為を毛嫌いすると思うからな。

私もそして友人も「光」とは成り得ない。何時までもこの暗くじめじめとした空間で何かを見つめ何かについて考え続けるのだろう。

  

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