Photo: 「無敵の心身」
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あなたは私の過去に興味がありますか?
此処で書くようになって結構経ったわけですが、それに比べて記事は其れほど多くは無いにしても、それなりに過去ログも増えてきています。
ブログでは過去ログは余り読まれない、最新記事ばかりが読まれる、過去ログにも読んでもらいたいものはあるのにと嘆く方もおられると思います。
それに対して様々な方が「こうすればいい」とか「読まれなくたっていいじゃないか」とか意見を出しておられますが、其の中でも過去に書いたものをもう一度最新記事として新たに今の自分が書いてみればいいという意見を見ました。

そうですね。実は私が書いている物の中にもそういう書き方をしている記事もあったりします。
過去、別の場所で書いていた物で、これは誰かに読んでもらいたいと思うものを今の私の文章で書いた記事を時々挿入していたりするので、何処かで私が書いていた昔の記事を覚えている方が読んだら「おや?」と軽い既知感を感じる方もいるかもしれません。もっとも、そんな風に誰かに思い出して頂けるようなものを書いていたとも言えないわけでありますが。

私の過去ログを読んでみたいと思われる方はいるのでしょうか?
そんな風に思ってもらえるものを私は果たして書いているのでしょうか?
そうであればいいなと思います。
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毎日ではないが更新して行きたい
以前、私のこのブログは日記才人に登録をしていました。思う所があり、日記才人からブログを削除したのですが、IDは其の侭にしてあります。ですが、最近はほとんど日記才人にログインする事はありません。

その日記才人で見つけた幾つかの日記をお気に入りに入れて読んでいるのですが、その中の一つの日記で先日ブログを書き始めて一年近くが過ぎたという事を感慨深く書かれている方がいました。其の方は、これほどブログを長く続けられたのも話題を一つに絞らなかったからだと書かれていたのですが、ブログ、或いは日記を続けて書き続けられるのは話題も関係しているのでしょうが、果たして其れだけで長く続けていけるものなのでしょうか。

私のこのブログも話題を絞って書いているわけではありません。ですが、毎日何かを書き続けられる事は私には出来ません。此処で書き出してから最初の頃は、確かに毎日のように書いてはいましたが、今は色々と現実世界で忙しくなってきた事もあり、なかなか精神的に何かを書く余裕が無いといった所です。

ただ、私のブログでは毎日何らかの情報を求めて誰かがアクセスをして下さっているようです。毎日ではありませんが、時々アクセス解析を覗きますと、様々なキーワードで此方に飛んできて下さっているようですから。ですが、私の書く物は何の役にも立っていないと思います。本当に申し訳ありません。

ブログとは矢張りコメントやトラックバックがあるとやる気が出るものなのでしょうか。私のブログではほとんどコメントは頂けませんし、トラックバックもありません。もし、そういったものがあったとしたら、私も記事を書く気力が出るのでしょうか?
しかし、そうですね。以前は頻繁にある方とコメントを残し合って、其の方とはトラックバックも何回か送り合った事もありました。そして、其の頃は確かに記事もよく書いていたように思います。

私のブログも今年の秋で2年になろうとしています。此れからも5年10年と此処を続けて行けたらいいなあと思っております。どうぞ、此れからも静かに見守ってやって下さい。
検索もまた体験となる
「セックスなんてくそくらえ - Do No Google (ググるな阿呆)」という記事に目が留まりました。

私の友人もよく「分からなかったらググれ」と言います。知ってるのならば教えてくれればいいのにと私も思うのですが、それでは私の身に付かないというような事を友人は言っていました。つまり、「ググる」ことは「体験」とも言えるという事なのですね。
正午さんの言われるように「身を切るような試行錯誤の痛みを覚悟した実践以外に、ノウハウを得る方法などない。」という事と同じ事がGoogleで検索をするという事ではないでしょうか。

検索エンジンで導き出される知識は全てが正しいという訳ではありません。其の中から取捨選択する上で間違った選択をしてしまう事もあるでしょう。分からないから検索したのですから、選んだ知識が正しいかどうかなんてその人には分かる筈が無いのですからね。ですが、その間違った選択をしてしまうことこそが「体験」へと繋がるとしたら?
つまり、間違った知識で間違った事を書けば、誰かからそれを指摘され、時には罵倒されてしまう事もあるかもしれない訳です。そういう体験をして正しい知識を獲得する事もあるとしたら、それも実践としての体験とは言えませんか?

検索してでも探そうとするのはまだましだと思うのです。それには「探そう」とする能動的な姿勢が見られるのですから。だから、私は検索で知識を獲得しようとするのには賛成したいと思います。それが私の考えです。
私はあなたの支えになっていますか?
ある文章を読んでいて時々デジャヴュが起きる事があります。
今まさにその気持ちになったので、取り急ぎ綴ってみようと思います。意味不明になると思いますが今から謝っておきます。申し訳御座いません。


そこに書かれていたことと同じようなことを書いていた人が居ました。そして、それに私がコメントを残し、書かれた方がレスを返してくれたのですが、そういう事があったのももう随分と昔のことです。
それを今読んだある文章で、たった今起きたことのように思い出してしまいました。

思わず「戻りたい」と思ってしまいました。其のときに。


水平線に沈もうとしている太陽が最後の光を放って私の目を射たように、あの風景を私は忘れません。
あの景色をあなたに捧げる事が出来たらと思います。私の大切なあなたに。
本当に戻りたいです。
例え辛い未来が待っていようとも、其れでも戻りたい。

あなたの支えに私はなっていますか?
私もあなたの大切な友と思ってもらえますか?
あなたの大切な人と同じくらいとは望みません。
存在を少しでも認めてもらえたらと、ただ其れだけを願っています。

たまには私の言葉で伝えたいと思いました。
今夜はそんな夜です。
UNPLUGGED
春が嫌いだ。
夏が嫌いだ。
冬も嫌いだ。
一年中秋だったら良いのに。

あなたの好きな冬は嫌いだ。
嫌いだが空から舞い降りてくる白い羽は本当は好きなんだ。
子供の頃、嫌いだと言っていた私だが、其れは嘘。

本当の気持ちに気付かず私は何時も後に後悔をする。

あなたの上にも白い羽は落ちてきた?
私の上には落ちてこないよ。
決して落ちては来ない。

あなたが落としてくれない限り。
いや、私自身が落とさない限り、か。



あなたにメールが送れないよ。
真夜中遅くに送ろうとして送信ボタンをどうしても押せなかった。
もう送れないかもしれない。
そんな宣言も出来ないほどに私は言葉を失っている。
申し訳なくて、白い雪が溶けていくように私も溶けていきたい。

あなたが見えない。
土砂降りの雨に打たれながら
どうか彼女を許してやって欲しい。
貴方を信じないと言った彼女を。
私のこの言葉も貴方にとっては許せない言葉かもしれないが、其れでも私は彼女の為に言うしかない。そして、自分の為にも。

例え偽善だと言われようとも。
例え卑怯だと言われようとも。

どうか彼女を許してやって欲しい。
貴方を傷付けてしまう言葉を発した事を。
どうか…。
其れが決して放さぬということ
「南無の日記 くだらないことだが・・。」を読みました。

南無玄之介さんは「よく人間関係の上で傷つくのが嫌だから距離を置くんだという人が居ますがそれは妄念であふれた狭量人だと思います。」と言っておられます。
私も、そして私の大切な友人も今では他人とは少々距離を置いて居る訳でありますが、私達は一応「他人を傷付けたくないから」という理由で距離を置いて居るのですね。ですが、其れも結局の所、他人を傷付ければ自分自身も傷付くからという事なのです。という事は、私達も「傷付くのが嫌だから距離を置いて居る」とも言えますよね。

私の記事をずっと最初から読んで下さっている方なら、此処でも私は付き合いの始まった方を傷付けた事があった事も覚えておられるでしょう。(関連記事:「私の言葉で傷付いた人へ」
私は距離を置いて付き合う事が出来ない人間でした。興味を抱いた人に対しては過剰なくらいにコメントを残してしまう所があり、その方のブログにもよく書き込みをしたものでした。
その書き込みが果たして相手の方が望んでいたのかどうかも、今では恐らく望んではいなかったのだろうなと推察します。
誰が望んでくれているか、望んではくれていないのかは、私のような思い遣りの無い人間には分かる筈も有りません。

ですから、今では私はもう何処にもコメントは残さないようにしています。私の大切な友人は以前よりは回数は減ってはいますが、それでも多少はコメントを残しているようですが。

記事を書くモチベーションも下がってきています。それも「妄念であふれた狭量人」であるが故なのでしょうね。本当は私のような人間こそ、ブログで自分の考えなど書かない方がいいのかもしれません。他人を気にせず書けば誰かを傷付ける。しかし、他人を気にして書いたからといっても誰も傷付けないという事は無理な話。そういう事から発展する人間関係のトラブルに対して、どうしてもネガティヴに捉えてしまう。その様な人間は何も書かずに黙ってしまえば良いのです。何方かがブログの閉鎖を繰り返すように私もそうなってしまってもおかしくないのですから。
ただ、私は此処で書いた記事に執着をしていますし、今では此処には来て下さらない方々のコメントも消すに忍びないので、此処はずっと此の侭にして置きたいと思っているのです。

私にとって、繋がりたい相手とは直接に繋がるだけが「放さない」という事では無いのです。
此処で交流した人達ともう二度と会話が出来ないとしても、それでも此処に私の記事とその方々のコメントがある限り、ずっと繋がっているという事なのです。もう一度言います。此処を消さない事、それが私にとっての「放さない」という事でもあるのですよ。

だから、私は繋がりたいと思う相手を決して放しはしないのです。
不安に苛まれている君へ
私も君も同じだ。何時でも私達は同じ感覚を共有している。君が不安だと私も不安を感じる。私達はそういう関係なのだ。君が簡単に傷付けられれば私も傷付き、私が簡単に癒されれば君も癒される。

「たまたま木の上で寝ていた女の子(知世)を見て、再び生きる力を取り戻すんです。」(「棺の中の楽園」より)

私はこの日記を見つけて頑張れると思ったよ。
良かったね。頑張ろうね。頑張れるよ。

さあ、頑張ろう、一緒に。

  

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