Photo: 「無敵の心身」
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可愛い人
可愛い服が似合わなかった君。
私の大切な友よ。
可愛い服が着たかったと嘆く君。
だが、可愛い服装は君には似合わなかった。本当に。
幼い頃から可愛い女の子になる事は叶わぬ夢だと思っていた。
だから、母親の用意してくれる大人びた服を着て、小学生なのに大学生と言われ、まるで背伸びをしているかのように子供時代を過ごしたんだ。
今やっと君は年齢に追いついた。寧ろ、年齢よりも若く見られるようになった。
此れからも年を取っていっても、君は其の侭若いまま生きていく事だろう。
大好きな彼との年齢差を感じさせないくらいに。
今君は輝いている。
私は其れがとても嬉しい。
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果たして本当に影響力があるのだろうか
たまたま訪れた日記で、私のブログでもリンクをしているえっけんさんの事を書かれている方がいました。
其の方はえっけんさんには「影響力がある」と仰っていて、自分のブログをブックマークされる事を迷惑というような事を書かれていました。

思ったのですが、私も幾つかえっけんさんに記事をブックークして頂きましたが、迷惑を掛けられるような事はありませんでした。
影響力があるというのなら、私の記事もかなりの注目を浴びると思うのですが、一番多いブックマーク数は6ブックマークでしたね。
恐らく、えっけんさんの心には叶った記事ではあったものの、はてなユーザーの方々には興味の対象外な記事だったのでしょう。
私もそこそこのブログ論らしきものは書いてはいるのですが、えっけんさんと多少の関わりがあったとしても其れほど注目を浴びないという事は、次の二つの理由が考えられるでしょう。

・当たり前の事を書いている。

・穴の開いたとんでもない意見を書いている。

私は自分が斬新な意見を書いているとは思っていません。私の考えは、様々な方の考えで得心がいった事、共感した物を取り入れているだけに過ぎないので、目新しい考えという訳ではないのです。
私は、余り規制を謳いたくないと思っているだけなので、誰かが何かをしたとしても許せる心の広さを持ちたいと思っているのです。ですが、「許せる心の広さ」という言葉も少々傲慢な言葉かもしれませんね。
ただ、取り上げられる事、ブックマークされる事を迷惑だとは思いたくないというだけです。

以前、他の事でえっけんさん以外の方にリンクをして頂いた時には、かなりのアクセスがあったのですが、其れは私が馬鹿な事を書いていたからとも言えるのですね。ですから、私の記事がえっけんさんにブックマークされても普段通りのアクセス数だったのは、恐らく其の記事は馬鹿な事を書いていたわけではなかったという事なのでしょうね。とすれば、ブックマークされてアクセス数が上がったのは、ブックマークした方のせいではなく、その記事にアクセスを上げる何かがあったという事ではないでしょうか。
アクセスが上がるという事は、全てが良質の記事である事はないというのは当たり前の事ですよね。其の事を忘れない事が大切かなと思いました。
血の滴るような赤色が好きなのです
もちもちおねいまんさんが「勝ち猫 もちの マターリぶろぐ またーりしようよ’2006-09-27」で色バトンをされていましたので、指名されてもいないのに勝手にバトンを拾って参りました。
もちもちおねいまんさんが私をどのような色で評価して下さるかは分かりませんので、私がバトンをした後にでも御本人さんにお聞きしてみましょう。では、早速やってみます。

・好きな色は?

そうですね。赤ですね。其れも普通の赤ではなく血の滴るようなという表現がピッタリな赤なのですが、ワインレッドくらいしか思い浮かびませんでした。
「世界の伝統色 洋色大辞典」というサイトで確認してみたのですが、ワインレッドよりもガーネットの方がより一層赤さがダークですね。それでも何となく違うような気もしています。
どうも私は色合いというものの感覚が他人とは少々ズレているらしいのです。身内に色弱が居ますので、私もそういう所はあるのかもしれません。

・嫌いな色は?

これといって嫌いと言える色がありませんね。子供の頃は黄土色があまり好きではなかったようなのですが、今ではそう嫌いでもありませんし。ですから、嫌いな色は特にありません。

・携帯の色は何色?

何色と言うのでしょう。金属色とでも言うのでしょうか。其れとも銀色ですか。シルバーとも言いますか。ごく一般的な色ですね。

・あなたの心の色は何色ですか?

黒です。私は心に闇を飼っていますので。ですが、その闇は私に安心感を与えるものでもあります。そして、私の好きな方も黒というイメージを持っていますので私も黒の心を持ちたいと思っております。

・回してくれた人の心の色は?

そうですね。もちもちおねいまんさんにバトンを回した方はもちもちおねいまんさんを「オレンジ」の心と言われたわけですが、私にはふわふわとした雲のような白な心かなあと思いました。

・次の6つの色に合う人を選んでバトンを回して下さい。

赤…えっけんさん
青…やちさん
オレンジ…思いつきません
ピンク…やまめさん
黒…Nyarlさん
白…ティアンさん

それぞれの説明を致します。
えっけんさんを赤としたのは、意外と情熱家ではないかと思ったからです。
やちさんを青としたのは、やちさんの雰囲気が知り合った頃から澄み渡る空のような青であると思っていましたので。
やまめさんをピンクとしたのは、知り合った頃のイメージが其れだったからです。私には全く分からないコスメ関連の話題に豊富でもありますので。
Nyarlさんを黒としたのは、もう其の物ですから。(笑)
ティアンさんを白としたのは、今の彼が其の色を感じさせるのです。知り合った頃はそうですね、勝手に青のような人だなあと思っていたのですが、今はあの頃よりも一層白に近づいていまして、青から白に変わっていったという感じでしょうか。

そして、知り合いが少ない私なので、どうしてもオレンジのイメージの方が出てきませんでした。何方か我と思われる方がオレンジでやってみて下さると嬉しいのですが。
とは言え、他の方々も此処を見ているとは限らないので、受け流して下さって結構です。

もちもちおねいまんさん、有難う御座いました。他の方はトラックバックを受付していない方もいますので等しくトラックバックは送らないで置きますが、バトンを受け取らせて頂いたもちもちおねいまんさんにはトラックバックをお送り致しますね。

所で、もちもちおねいまんさんが問い掛けをなさっておられますが、私は「有難う」と受け取る方ですね。手渡したい気持ちはあるのですが、人見知りが激しい性格なので、なかなか「はい」と渡す事が出来ないのです。そういう性格なのです。
何時かは其の希望の光に誰もが還るから
そう、だから別れの言葉は要らない。
たとえ、儚い想い出が闇に落ちていこうとも。
私が希望という光を照らそう。

貴方の微笑を守りたい。
其の笑顔を。
心から守りたいと。

永遠に続く安らぎを与えてくれるという貴方の為に。
罪を償って生まれ変わればいいと言ってくれた貴方の為に。
そっと目を閉じて私は祈る。
貴方の其の笑顔が見たいから。

貴方にはずっと笑っていて貰いたいから。
頭を撫でられたら私は抱き締めてあげよう
私の友人の一人のある女性はとても快活で思った事ははっきりと言う性格です。そんな彼女が一時期心療内科に通っていたと打ち明けてくれました。
彼女は鬱病になってしまったのですね。ですが、彼女はその原因がはっきり分かっていたので、適切な処置ですぐに鬱から抜け出ることが出来たようです。今では元気に仕事もしているようですが。

その原因が大切な友の死だったそうです。

突然の死だったらしく、快活で精神的にも強いと思われていた彼女でさえもかなりのショックを受けたそうです。ただ、彼女は何かを抱え込むというタイプではなかったので、病院に通っている間も思いつめたような事は無かったと言っていました。むしろ、心療内科に訪れる他の患者を見て自分の知らない世界を垣間見た好奇心の方が勝っていたようです。

「すごいのよ。延々と同じ事を繰り返して呟いている人とか、突然泣き出す人とかいたの。隣に座ってた30代くらいの女の人なんてずーっと携帯を見詰めてて、時々凄い勢いでメールの返信してるのよ。つい好奇心から覗いて見ちゃったんだけど、職場の同僚の愚痴とかを延々と打ち込んでた。それ見てて、ああ、なんか病気になる人って、自分の思ってる事をちゃんと言えない人がなってしまうものなのかなあって思った」

彼女にはそういった自分の意見がなかなか言えない性格の友達がいるらしく、仕事でも嫌な思いを何時もして、その愚痴を彼女に話してくるらしいのです。その友達も鬱病にかかっていたらしく、彼女に「あなたみたいな性格だったら、私もこんな病気にならなくてすんだのに」と言っていたらしいのです。ですが、その彼女でさえも時には病気になってしまう。とすれば、全ての人間には病気になってしまう可能性はあるのかもしれませんね。

私も軽い鬱にかかった時に「何故こんな苦しい思いをしなくてはいけないんだ」と自分の運命を呪ったものですが、其れを言ったとしても恐らく他人から「あなただけじゃない」とか「あなたよりもっと苦しんでいる者はいる」とか言われるのがオチでしょう。其れは確かにそうなのですが、そんな事は言って欲しくないと私は思いますね。愚痴に対してはただ聞いてあげるという姿勢が大事だと思うのですよ。ですが、中には解決しようとする人もいますので、愚痴を言う相手は考えて言わねばなりません。

そうですね。知り合いになったもちもちおねいまんさんのような方なら愚痴を言えば黙って頭を撫でてくれるでしょう。私の大好きなある人なら黙って抱き締めてくれるでしょう。其れだけで救われる事もあるのです。楽になる事もあるのです。私も、そういう黙って頭を撫でたり抱き締めたりで誰かを楽にして差し上げたいと思っている一人です。

私の頭を如何か撫でてください。そうしたら私はあなたを抱き締めましょう。それをあなたが望んで下さるのなら、私は何時でもあなたの為にこの二本の腕を差し出しますので。何時までも手を広げてあなたをお待ちしております。
トラックバックこそウェブの宝探し
「勝ち猫 もちの マターリぶろぐ またーりしようよ’モーゼの杖」という記事を、もちもちおねいまんさんが書いて下さいました。私へのラブレターです。今度はトラックバックをして頂いたので、私へのラブレターである事は分かっていたのですが、タイトルから、そして中身から、全て色々な意味での驚きを感じております。

トラックバックがモーゼの杖という表現に限りないロマンを感じています。そして、私の大切な友人が執筆している物語にはモーゼと同じような名前の人物が出てくるのですが、その人物とは人間でもあり機械でもあるという人物で、人々を星々の彼方へと連れて行く道標ともなる立場でもあるのです。何となくですが、トラックバックにも似ているようには思えないでしょうか。其の記事を読まれている方々をウェブという宇宙の果ての他ブログまで導くのです。その様に考えると、トラックバックにも胸躍る出会いや希望が感じられますね。
私の好きな歌に「出会いこそ人生の宝探しだね」という歌詞があるのですが、「出会い」を「トラックバック」に置き換えてもいいかもしれません。

「トラックバックこそウェブの宝探し」

如何でしょうか、この様な考えは。宝探しに行く探検隊のような気分になってきます。自分だけでなく、他の方のブログでのトラックバックにもそんな宝のような存在である記事があるのかもしれませんね。其の為にもこれぞと思った記事をトラックバックとして送るのもいいかもしれません。
例え、自分の送る其の記事が他の方にとっての宝とならなくても、きっと誰かにとっては宝となってくれる事を信じて、トラットクバックを送るのも素敵な事だなと思えてきました。
此れも、もちもちおねいまんさんがそう思わせてくれた訳です。本当に感謝しております。

今までの私は、もちもちおねいまんさんが書かれているように、テレパシーを送るようにトラックバックを送らずにリンクをして、其の記事について語ったりしていました。私の存在を押し付けるではなく、気付いたらいいなという気持ちだけで。
時折り、そういったテレパシーが通じる事もあって、とても甘美な思いに包まれる事もありました。ですが、それと同じくらいの挫折も感じました。其れこそ、もちもちおねいまんさんが言われる「何時までたっても二人は出会えないという悲劇」です。其れは其れで物語的には良いのでしょうが、私も目から光線を放ってみたいなと思ってしまいました。(笑)

私の放つ光で誰が虜になって下さるか、其れを知るのも楽しいかもしれません。
夢見るトラックバック
この度、本当に久しぶりにトラックバックを送ってみたのですが、これ程トラックバックを送って嬉しかった事はありませんでしたね。
ですが、調子に乗ってはいけないと肝に銘じなくてはなりません。今までにも相手をして下さる方に執着をし過ぎてしまい、相手を深く傷付けてしまった事は何度もありましたから。

そうは言っても、私がトラックバックを送った事により、また相手の方が日記を書いて下さった事はとても嬉しい事でもあります。矢張りこれは記念に何か書かねばなりません。私の事を取り上げて書いて下さったもちもちおねいまんさんには多大なる感謝の意を表したいと思います。

その日記が「勝ち猫 もちの マターリぶろぐ またーりしようよ’-ステンドグラス」なのですが。

もちもちおねいまんさんは、このブログのステンドグラスの事を「夢のようなステンドグラス」と仰って下さいました。この写真は私の友人が写した写真なのです。写真の下に「無敵の心身」というブログをリンクしていますが、それがその友人です。
私が他のコミュニティで日記を書いていた時からお付き合いをさせて頂いています。その頃に彼女が書いていた写真日記を読むのがとても好きでした。
そして、あまりにも写真が素晴らしかったので、ぜひ私の日記で背景画像として使わせて欲しいと願い出た所、彼女は快く承知して下さいました。
あの頃に保存させて頂いた画像は、もう彼女のサイトでは掲載していないので、私だけの宝物となっております。その中にこのステンドグラスの写真もありました。
此処でブログを書き出した頃、確かタイトルには写真は使っていなかったのですが、プロフィールには私の写した夕焼けの写真を使っていたのですね。私が一番気に入っていた写真だったのですが、携帯で写したものだったので拡大するととても見られたものではなくなったものでした。

其れから暫くして、お付き合いをさせて頂いていたぶんだばさんという方がご自分のブログを模様替えなさって、其れを見たら私も模様替えをしたくなったのですね。其の時に友人の写したステンドグラスを思い出したのです。あの写真が使えないだろうかと。
引き伸ばして加工したのですが、元の画像のイメージを壊さないようにしたつもりです。結果、とても満足のいく出来となり、以来、一度もこのブログの模様替えをしていません。此れからも変わる事は無いかと思います。

もちもちおねいまんさん、このステンドグラスを「夢のような」と言って下さって本当に有難う御座います。此処は私の夢の国ですから。夢の国には夢の国に相応しい雰囲気が必要です。それがこのステンドグラスだったのですよ。

そういえば、初期の頃にえっけんさんにも文字の大きさの変更の仕方を教えて頂いた事がありますが、そのえっけんさんが「ekken♂ トラックバックを強制するよりも、自分でリンクすれば?」という記事を書かれていますね。
私は今までトラックバックにはとても臆病になっていました。私の記事は相手の方の記事を取り上げて何か書いてはいても、とても言及しているという記事とは思っていなかったので、この様な物を送られても相手を不快にするだけだと思っておりました。
相手と何らかの繋がりを持とうとすると、何時も如何しても相手を傷付けてしまう私のようなので、出来るだけ繋がらないようにした方がいいかなと思ったのです。
ですから、えっけんさんのような考えの持ち主の方が増えて下さればいいなあと思っておりました。其れは今でも変わりません。
私のようにトラックバックに臆病になっている人は多いと思いますので。
何方かが、トラックバックはラブレターという様な事を仰っていましたが、ラブレターであれば尚更のこと、相手の方に読んで頂くのには勇気がいると思うのです。私はそうでした。ラブレターを書いては渡せずを何度経験した事か。其れほどにラブレターは気楽には出せないものなのです。

しかし、今回、勇気を出してもちもちおねいまんさんに送ってみたら、意外にももちもちおねいまんさんからもラブレターを頂いてしまいました。トラックバックを頂いた訳ではないのですが、私は何時ももちもちおねいまんさんのブログを見ていますので、画面を開いたら突然私への手紙が綴られていて驚くやら嬉しいやらで、思わず画面の此方側で踊りだしたくなったものです。(笑)
其れはある意味、トラックバックを頂いて読みに行くよりも強い喜びであったと思います。
ですが、これも、相手がもちもちおねいまんさんだったからだと思うのですよ。
何時もこんな風に気持ちの良いコミュニケーションが出来るとは限りません。無視される事もあるでしょう。無視だけならまだしも、不快を露にされて此方も不快になってしまう事もあると思います。
恐らく、今私が書いているようなこういう記事は、ごく一部の方にとっては不快に取られてしまうのではないでしょうか。そんな風に如何しても思ってしまう私でもあります。

友人が「気にせずに」と言ってくれましたが、なかなか「気にせずに」とは私には無理なのです。
ですから、此れからもトラックバックはほとんど送らないとは思います。
ですが、全く送らないという事は此れからは無いと思います。これぞと思った時は送らせて頂く事もあろうかと思います。

そして、この記事も、送らせて頂こうかと思っております。もちもちおねいまんさんとえっけんさんに、心を込めて送ります。どうぞ受け取って下さい。
何時までも絶えることなく友達でいよう
「勝ち猫 もちの マターリぶろぐ またーりしようよ’」というブログで「「お気に入り」なんて恥ずかしい 」という記事を読みました。

私にも自分だけにしか分からない拘りというものがありますが、他人にとっては下らないと一蹴される物ばかりのような気がします。毎日使う日用品等、決まった商品しか使わないとか、そういう事は子供の頃からありましたね。後、子供の頃の拘りで、学校帰りに必ず歌いながら下校していました。其の時に歌う歌も「今日の日はさようなら」だったのですが、今思うと恥ずかしい奴だったよなあと思います。(笑)

もちもちおねいまんさんは鏡越しに誰かと話したり相手の小物をチェックするのが恥ずかしいと言われているのですが、それを読んで思い出したのが、私の大切な友人が同じ事を言っていたなということです。
「この間もね、一緒にトイレに行ってそこで化粧直しをするんだけど、自分が使ってる化粧品についてあれこれ聞いてくるの。私が使ってるのはスーパーで買った安物だったから、すごく恥ずかしかった」と言ってましたね。それは知り合いだからという事で相手も彼女に聞いてきたのでしょうからそこまで気にすることは無いとは思いましたが、そういう経験をしてしまうと、たまたま知らない人と御手洗いで一緒になった時に、相手の事が気になってしまうものなのでしょう。
友人は、髪を直してる所も他人に見られるのは恥ずかしいとも言っていましたしね。もちもちおねいまんさんが言われるように、そんなことを思う自分も恥ずかしいと彼女は言っていました。
恐らく、お二人だけではないと思います。結構多くの女性がそう思っているのかもしれませんね。

ところで、もちもちおねいまんさんのブログは少し前に見つけてきたのですが、描かれているイラストが本当に癒されるイラストで私は一目で気に入りました。見ていてとても癒されるのです。
あと、文章がとても良いです。読んでいて心地良くて、特に今回取り上げさせて頂いたエントリはとても気に入ったエントリの一つでもあります。
ラスト近くの文を読んでいると思わず笑みが零れてきますね。
きっとリアルでも可愛らしい女性なのでしょう。

此れからも可愛いイラストと心地良い文章を楽しみにしています。
永遠の踊り
そういえば、私の友人の誕生日に友人の為にサイト運営を始めた男性がいましたね。男性だとは思うのですが、実は今ひとつ自信はありません。ネットでは相手が男か女か等、例え相手が性別を明らかにしていたとしても実際に逢ってみない限りは信じる事は出来ません。私自身が「私は男なんですよ」「私は女なのですよ」と言ったとして、其れで「そうなんですか」と信じる人を私は信じませんので。
だから、なるべく、私は日記を書かれている其の方が男であるか女であるかは考えないようにしています。其れに相手が男であるか女であるか等、少なくとも私にとっては如何でもいいことでもあるので。

話が脱線しました。友人の誕生日にサイトを開設したその方は私の友人でもあるのですが、其の方は本当に健気な人なのですよ。彼は彼女の為に身を粉にして尽くしています。もう知り合って6年になりますか。彼も変わりましたね。いえ、全く変わっていない所もありますが、確実に変わったなという所もあると私は思います。それは彼に忠誠を捧げられている彼女もそうです。悪い方に変わったと言われる方もいるようですが、私は彼女を信じてあげたいです。

かつて、彼と彼女の言葉のやり取りを見ていた二人と親しいある女性は、彼等の語らいを「ネット宇宙の片隅で繰り広げられる永遠に続く恋のダンス」と評していました。二人の愛の踊りをじっと見守る人々は少ないながらも確実に存在していて、皆の憧れである「永遠」をその二人に垣間見ていたのです。

永遠に続く想いを。
永遠に続く関係を。
永遠に交われぬ悲しみを。

そして、永遠の安らぎを。

彼女は歌姫。
彼の愛の囁きで歌い出す。
宇宙という名のウェブに愛を広める為に生まれた歌姫。
永遠に続く愛があるのだよ、と。
永遠に続く想いがあるのだよ、と。

永遠の安らぎは必ず見つかる、と。


其れほど二人に多大な影響力があるとは思いません。
ですが、二人の存在で確実に救われた人はいたと思います。
私自身も救われたのですから、一人は確実に救われたという事です。
そうか
たった今気が付いたよ。
何故其の人に惹かれたのか。
何故其の人がむかつくのか。

あの人に似ているのだ。
書いている物は其れほど似ているわけではないが。
誰かにコメントを付けるその言葉尻が似過ぎている。

そうか。
だからなのか。
そうだったんだな。

其れよりも我が友よ。
そんな事は言われてなくても分かっているよ。
そんな分かり切った事を言うなよ。
わざわざ言う事じゃないだろう?
言いたい事があるなら此処まで書きに来い。
今度は削除はしないから。

だが納得。
そうか。
そうだったんだな。
少々ハイな気分になってきているぞ。
何だか可笑しくて笑いたくなってきた。
何時でも誰かを傷付けてしまう呪われた存在
以前、私は「閉鎖空間だが閉鎖は有り得ない」という記事を書きました。其れには私がトラックバックを送らない理由を書いていたわけですが、其れは今でも同じであります。
ですが、先日、とあるブックマークコメントで、言及しているのにトラックバックを送らないのは礼儀知らずであるという言葉を見かけました。
私に言われたわけではないのですが、少なからずショックを受けてしまいました。

私も時折り人様の書かれた記事を取り上げて、私の考えや想起される思いを綴ったりするのですが、とても相手に読んで貰う程の物を書いている自信が無いのでトラックバックは送っておりません。ですが、其れを礼儀知らずであると言われる方がいるというのならば、言及記事は矢張り書かない方がいいのだろうなあと思うに至りました。
此れからは、其の物を言及するではなく、何を読んで其の記事を書いたのかを特定されない書き方をする事にしようかと思います。勿論、一部の友人の書いたものを取り上げる場合は名前も明記しますしリンクもしますが、トラックバックは送らないとは思います。本当はブログなどで書かない方がいいのかもしれませんが、せっかく此処を初期の頃から借りているので続けて行きたいと思います。

私は書く事で何時も誰かを傷付けるようなので、慎重に文章を書かねばなりませんね。勿論、どんなに慎重に書いたとしても、必ず誰かは傷付くものなのですが、一人でも傷付く方が少なくなるのでしたら、少しは努力をせねばなりません。
そうでないと、閉鎖はしないと誓った言葉を何れは破ってしまいかねませんから。

誰かを傷付ける呪われた存在であっても、其れでも立ち続けたい、その様に思っております。此れからもこの様な私ですが、どうぞ宜しくお願い致します。
誰かにとっての癒しとなりたいけれど
友人のティアンさんがご自分のブログで「魂のカスケード もしも桃太郎だったら」という記事を書かれていました。

自分が鬼退治に行く桃太郎だとして、お供に犬、キジ、サルの他にもう一匹連れて行けるとしたらどんな動物を連れて行くかという心理テストをされていたのですが、それを見て私なら何を連れて行くだろうと思いました。
そうですね。私なら猫を連れて行くでしょう。何故なら猫は好きな動物でもあるからです。見ているだけで飽きない存在なので。つまり、自分を癒してくれる存在として猫を連れて行きたいと思ったわけです。

ところで、まだテストは続いており、その連れて行こうとした動物を気が変わって連れて行かないことにしたという事で、その理由としてどこが悪かったのか答えよというのですね。
そうですね。悪かったというか、可愛そうになって連れて行かないとなりますか、私なら。あと、他のお供の犬と喧嘩をしてしまいそうで、鬼退治をする所ではないという事にもなりそうですし。

そして、この心理テストの種明かしをティアンさんは「連れて行く動物は自分のイメージを表し、連れて行けない理由は、自分のどういうところが嫌われているかを意味するそうです。」と書かれていました。
そうですか。私は自分を誰かにとっての癒しとなりたいと思っているのかもしれませんね。そして、私は何時でも誰かと喧嘩をしてしまう所、つまりトラブルメイカーである所を他人に嫌われていると思っているのかもしれません。

何となく、そうかもしれないなあと思ってしまいました。心理テストとは面白いものですね。
何時か私が生まれ変われたとしたならば
私は此処で、一番大切に思っている友人の語りたくても語れない出来事や思いを時に綴る事があります。
それは「呟き」で語られるものだけでなく、「エッセイ」で語る中にも忍ばせていたりするのですが、友人の経験した事、見た事、聞いた事等、全てを其の侭綴っている訳ではありません。

正確に伝えようとすると個人情報に抵触してしまうので事実を事実として伝えられないのです。其れではどうやって伝えているのか。其れはしばしば嘘と言われる表現方法です。良い言い方をすればフィクションと言いましょうか。極端な例ですが、ある一つの言葉や思いを伝える為に、その言葉以外を全てフィクションにして綴るという事も私は有りだと考えているので。

そういう事を平気で私はする人間なのです。軽蔑しますか? 軽蔑して下さっても結構です。私はもう誰に軽蔑されても平気ですから。本当に私を理解してくださる人がたった一人でも居ると信じる事が出来るようになったのです。其れはある方の書かれたもので確信したのですが、それだけではありません。こんな私にも信じる事の出来る誰かが居ると思えるようになったからです。

私は此れからも私の信じる表現方法で、大切な友人の伝えたいものを伝えていこうと思っています。例え嘘で塗り固められた表現だったとしても、たった一つの真実が其処に隠されているのなら、其れは真実なのだと。其れを理解してくださる方とだけ繋がって行きたいと。私はその様に思っております。

此処を貴方が見ておられるかは分かりませんが、最後にお礼を言わせてください。私は貴方を人間として愛しております。男とか女とかそういう次元での愛ではないとは思いますが、ですが、私は貴方の全てを愛しております。貴方の駄目な所も貴方の素晴らしい所もひっくるめて全てを愛しいと思っております。この世で貴方に逢い見えぬとしても来世ではきっと貴方と見えると信じて、私は現世を貴方という存在を心の支えにして生き抜いて見せましょう。

此れからもどうぞ宜しくお願致します。


愛とは相手の理不尽さも愛しいと思えるものなのだ
最近、お邪魔するブログ等では結婚話で持ちきりのようですね。何処のブログだったか、結婚は幸せか不幸せかと問題定義をし色々ご自分の考えを書いた上で、結婚してもしなくても幸せになる人はなるしならない人はならないという結論に至ったようでした。

結婚して互いに成長する事に意義を見出す人もいれば、成長などしなくてもいいと言い出す人もいる、自分は相手のこんな理不尽さに我慢しただとか、それを我慢出来なくなって別れてしまっただとか、二人で楽しみも悲しみも苦しみも分け合う事で共同作業のように暮らしていくという人もいるとか、人々の結婚に対する思惑は様々だと思います。

だから、結婚することで幸せになるかならないかは誰にも断定は出来ないのでしょうね。

何と言うか、私の友人はこの話を聞いたら「下らない」と一蹴しそうです。(笑)
その人は無駄な事を嫌っている人で、平行線にしかならない事を議論する人々を軽蔑している所があるので。
そんな友人も結婚をしているのですが、私から見ればその人の配偶者もかなりの理不尽な人間だと思うのですよ。どういった風に理不尽かはプライバシーの問題もあるので此処には書けないのですが、まず私ならとても相手に出来ない、一緒には暮らしたくない相手です。しかし、友人は上手く操作しているようですよ。理不尽な人間を操作するその友人も見上げたものですが。友人曰く「これくらいの理不尽さを我慢出来なければ結婚なんて出来ないよ」と言っていました。ちなみにその友人は男性です。

恐らく友人は「愛とは相手の理不尽さも愛しいと思えるのだ」と言いたかったのかなあと勝手に思ったのですが、さてどうでしょうか。決してその答えは友人からは聞けないとは思いますけれどね。
とは言え、その理不尽さも限度というものもあると思うのですよ。確かに私から見れば友人のお相手は理不尽ではあるのですが、他の知り合いの夫婦の愚痴等を聞いていると、まだその理不尽さは許容範囲かもしれないなと思わせる所もありましたから。

結局は人が変われば結婚観も変わるという事です。自分の結婚観は全ての人に当てはまるものではないので、比べるのも無理な話であり、ましてや違うからといって「それはおかしい」とか「あなたなどまだましだ」だのとは言えないという事ですね。つまりは矢張り、友人が言うように「下らない」となるわけなのでしょう。

つまり、私が書いたこの記事も「下らない」と、恐らく友人には言われる事でしょう。(苦笑)

しかし、その下らない事を考えてしまうのも人間というものなのではないでしょうか。少なくとも私は友人とは違い、そんな下らない事を考えてしまう人に愛しさを感じてしまうのですがね。(笑)

  

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