Photo: 「無敵の心身」
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別れと出逢い
どんな別れでも悲しみは付きまとう。特に「死」で別れる場合は。愛情で繋がれていた相手は尚の事なのだが、私の場合は喧嘩別れしてしまった人もいて、そういう人と「死」の別れをしてしまった場合、とてつもない後悔が襲うことだろうと思う。だからこそ、これからは後悔のない人付き合いをしていきたいと私も強く思った。私なりに頑張ってみようと思っている。

「笑って死ねるならそれでいい」と、貴方は言ったそうだが、そう言った人は貴方だけじゃない。他にも居る。貴方とは一度も逢ったことはなかったし、これからも逢う事は無いだろう。それも悲しいものだが、が、しかし、果たして一度逢ってからもう二度と逢うことの無い別れと、一度も逢わずに別れてしまうのではどちらが悲劇だろうか。
「もう会えない、ってありえない」という記事を読んで思った事だが、貴方との関係を悲しいと思わぬ為にも逢う努力はした方がいいのだろうな、と。ただ、私は本当に貴方と逢って話したいと思っているのか如何か。其れがよく分からないんだ。自分の気持ちに反しない行動を取りたいと思っていても、私は自分が本当は如何したいのかが分かっていないみたいだ。

私は貴方に逢えるのだろうか?

いや、貴方ならば「そうしたいならそうすればいい」と言うのだろう。恐らく。間違いなく。だから、私も私に出来るやり方で願いを達成しようと思っているよ。私のやり方でね。
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人生とは下り坂ということなのか
下っていく坂を見ると幼い頃を思い出す。
あれは幾つの事だったろう。二歳か三歳かそこ等。
親子で登った山。
其れほど高さがあったわけではない。
頂上にはちょっとした公園があったように覚えている。
だが、何故か私達は急斜面をまるで登山家のように登っていった。
今でも覚えている。少し離れた場所を登る誰か、恐らく父か母だと思うのだが、岩に手をかけてロッククライミングのように登っている様を。
そして、やっとの事で頂上に辿り着き、お弁当を食べた。
それから帰りはなだらかに続く下り道を前のめりになりながら早足で下りていった。
下り坂の両側は木々が伸び、空を隠してしまうほどの鬱蒼さ。足元には落ち葉が道を埋め尽くしていた。
私は父か母かどちらかの手を握り、何処までも続く下り坂を小走りに下りていた。
何処まで続くのだろう。
もう永遠に下界には着かないような気もしていた。
幼いながらも絶望を感じていたようにも思う。
だがしかし、逆に何時までもこの時間が続けばいいとも思っていたようだった。
あの時のその情景を、何時までもなだらかに続く下り坂を、足早に歩く夢をあれから何度も何年も見続けた。
不思議に懐かしく、胸が締め付けられるような想いを抱く。
永久に下り続けるのを望むかのような。
あれは、本当は子供の見た夢だったのではないかと、時折り思う事もある。あれは本当にあった出来事ではないのだと。
それだけではない。
私の過去の経験全てが、ある一定の時期から以前の全ての記憶は、全て作り物で、誰かが私に植え付けたものではないかと、そんな思いに囚われる事もある。
しかし、それでもいい。自分の記憶が本物か如何かなど、誰にも関係ない事だ。私自身にさえも恐らく関係は無い。
全て夢であっても構わない。
人生など、誰かの見た夢でしかないと。それでいいと私は思っているからだ。
そうでないと、私は死ぬ時に狂ってしまうかもしれない。そんな気がしている。いや、狂ってしまった方がいいのかもしれないな。今の時点では、まだ死に対する恐怖感が強過ぎるから。
もしかしたら、永遠に続くかと思われていた坂道が終点した時、私も死に対して達観出来るのかもしれない。

  

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