Photo: 「無敵の心身」
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醒めない夢に囚われつつ人生の終焉を迎えたい
SF作家のアーサー・C・クラークが19日、移住先のスリランカで死去されたそうですね。

私が中学生の頃の事だったと思います。「幼年期の終り」という小説を読んだ事があったようです。と言うのも、お恥ずかしい事に、私はこの小説の内容を実は覚えていないのです。何となく滅亡をテーマとした内容だったという事だけは記憶にあるのですが。ですが、私はこの小説に深く感銘を受けたようで、とある文章をメモ書きとして残していました。私のはてなブックマークを御存知の方ならお分かりでしょうが、私は読んだものの中で印象に残った文章を書き残す事を子供の頃からやっていました。昔はノートに文章を書き残し、今はオンラインで書き残しているわけであります。その、書き残していた「幼年期の終り」から次の文章が、当時の私の心に深く刻まれる事となったようです。


『残されたものたちには、いくつもの道があった。だが行先は一つだった。
 あるものはいった。
 「世界はまだ美しい。いずれは別れねばならないとしても、なぜ出発を早める必要があるだろうか?」
 だが、現在よりも将来に望みをかけていたものたちや、人生の生き甲斐のすべてを失ってしまったものたちは、もうこの世にとどまることを望まなかった。
 彼らはそれぞれの性格にしたがって、一人で、あるいは友人たちとともに、この世に別れを告げていた。
 アテネではつぎのようだった。
 この島は火炎のうちに誕生した。
 いまはそれは火炎のうちに死んでいくことを決めたのだ。
 島を出ていきたいものは出ていった。
 だが、大部分のものは島に残って、わが夢の残骸の中で、人生の終りを迎えることを選んだ。』(「幼年期の終り」より)


私は、こういった滅亡していく人類の物語を読むのがとても好きな子供でした。当時の私の性格とは全くかけ離れたものであり、当時の友人達には思いも寄らない趣味だったのではないかと思います。私のような元気の良い子供には不似合いな趣味でしたから。そんな私が何故、滅びていくものに想いを馳せていたのでしょう。今でも其れはよく分からないのです。廃墟だとか打ち捨てられた風景や物や人が愛しくて、よく其れらに感情移入をしてしまう。其れは如何してなのでしょうね。

此れは想像なのですが、子供の頃の私は、精一杯、背伸びをして生きていたのかもしれません。本当は暗くて地味な性格だったのに、其れを無意識の内に隠して明るく活発な自分を演じていたのかもしれません。人々に受け入れて貰う為に。誰にも否定されたくない気持ちで。ですが、どの様な性格でも、全ての人に受け入れて貰える人はいないのだという事は、幼い私に分かる筈がありません。一度、激しい拒絶を小学生の頃に経験した事があります。私は、何故、自分が受け入れて貰えなかったのかが如何しても理解できませんでした。こんなに明るい私であるのに。こんなに活発な私なのに。こんなに、困っている人がいたら手を差し伸べる優しい私であるのに、と。
恐らく、相手には、私という人間は本当は明るくもない、活発でもない、優しくもないのだと見破られていたのかもしれません。或いは、そういった、明るく活発で、優しい性格の人が苦手な人だったのかもしれません。受け入れられない相手が悪いのか、受け入れて貰えぬ事を恨む私が悪いのか。其れは分かりませんが、結局は誰が悪いにしても、時には否定はされてしまうものなのだと、認めたくなくても認めざるを得ないのだと、私は気づいたのでしょうね。其れからは、明るさも活発さも優しさも捨てて今まで生きてきたように思います。捨てたつもりは無かったのですが、今思うと、捨ててきた人生だったように思います。

今の私は、滅び行く人や物に愛情を持つ事を後ろめたくは思っておりません。そういった性質もなければ、夢も希望も存在しないと思うからであります。

アーサー・C・クラークの作品は、「幼年期の終り」の他「2001年宇宙の旅」を読んだ事がありますが、私は内容も覚えていないくせに「幼年期の終り」が一番好きです。子供の頃に感じた感銘を今も果たして受けるのか如何か、其れは分かりませんが、もう一度この小説を、大人になった私として読み返してみたいと思っております。読み返すというよりは、初めて読むような気持ちで読む事になるとは思いますが。(笑)


そして、一足先にこの世を去った氏に、敬意を表して。御冥福を御祈り致します。何れ、この私もまた、醒めない夢に囚われつつ其方の世界へと旅立つ事でしょう。其れまで、一日一日を大切に生きていこうと思っております。
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あなたの為に書き続ける
私はこのブログで様々な事を見聞きした時に感じる思いを書いたり、現実では言えない言葉、言ってはいけない事柄を綴る為に書いていました。しゅうかさんが「あなたがいたから僕がいた。 - オオカミの遠吠え通信」で書かれている事とは違って、私にとって此処は日記を書く場所ではないのです。
そうですね。私は此処で伝えたい事を綴っていると言えるかもしれません。ただ、伝えたい相手は決まってはいないのですが。誰でもいい。私の言葉が伝わる誰かに伝わってくれればいいと私は思っております。

此処で文章を書くようになって今年の秋で4年になります。その間、少ないながらも何度か出会いと別れを経験しました。その別れのほとんどが気持ちの良い別れとは言えませんでした。私はどうも相手の神経を逆撫でしてしまうようで、大抵は相手から非難されて別れたものでしたね。私はそういった人間なのです。良い人間である筈がないのです。其れは私自身が重々承知の事です。其れでも、この様な私でも、ひっそりと傍に居てくれる人はいないわけではありません。私はそういったごく僅かの理解者の為に、此れからも感じた事を書いていこうと思っております。たとえ、誰に非難されようとも。

願わくは、ブログを閉鎖してしまう方が、また何処かで何かを書いてくれればと願っております。私は、しゅうかさんが「このブログだけは“立ち退き”要求が出るまで居座るつもりだ。」と書かれているように、このブログを提供して下さっているサーヴィスが崩壊しない限り、此処でずっと細々と書いていく所存で御座います。一番最初のエントリにも書いたように、無理のない程度に。

  

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