Photo: 「無敵の心身」
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記憶を綴る
chazukeさんの書かれたエントリを読んだのですが、chazukeさんははてなダイアリーのサービスがもし終わる様な事があればネットで日記を書くのはもうやめてもいいというような事を仰っていたのですが、かなり長い間はてなダイアリーで日記を書かれてきている上に、結構な数の読者がいるというのに勿体無い事だなあと思いました。勿論、日記を続けるのもやめるのも御本人の自由ですので、私が「どうか書き続けて下さい。私にあなたの書く物を読ませて下さい」と言うのは我儘な事であるとはわかっているのですが、其れでもせっかく読みたくて読ませて頂いている日記がもう読めなくなるというのは悲しく残念だと思うのです。日記を書く場所ははてなだけではありません。他のブログサービスでも書く事は出来る筈なのです。はてなダイアリーにどれだけの価値があるのか私にはわかりませんが、chazukeさんにとってははてなダイアリーに何か思い入れでもあるのかとつい勘繰ってしまう私は失礼な事を言っているのかもしれません。ですが、其れだけ「もうネットで書くのを辞めてもいいな」というchazukeさんの言葉にショックを受けているのです。今は時間が取れないということもあり、chazukeさんの日記の過去ログは読んでいない状態なのですが、そのうち過去ログも読んでみたいなと思っていたので。

chazukeさんは、書き残すことに意味を持っていない方のようですが、私は書き残す事にとても重大な意味を持っているので、書き残したくないという方の気持ちはあまり理解出来ているとは言えません。昔付き合いのあった小説家志望のHさんという方も同じような事を言っていました。小説家を目指しているという人が「書き残す」という事にこだわりを持っていないということが当時の私は信じられなかったのですが、そういう物書きという方もいないわけではないでしょう。私が今まで知り合った作家志望の方々は大抵は御自分の原稿をまるで我が子のように大切にしていて、Hさんのように書いては捨てるという方はいませんでした。ですが、そういう作家の方もきっといるのでしょう、私が知らないだけで。

私はchazukeさんやHさんとは違い、自分の書いた物を残したいと思う方なのです。其れは後に読み返す為なのです。私は恐らく一番自分の書いた物を好きなのでしょう。たとえ其れがとても酷い駄文だったとしても、私にとっては私の書いた物は全て私自身が手軽に読める読み物として楽しむ為に書いているのです。ネット上でこのように公開して日記などを書いている方々の中で、どれくらいの方が御自分の書かれた物をまるで小説のように読み返す方がいるかどうかわからないのですが、其れでもこのように公開された場所で誰でもが読める状態で書いているという事は少なからず読者というのを気にしていない筈はないと思うのですが、如何でしょう。確かに、私の知り合いでもあったHさんは誰でもが読める場所では書いてはいませんでした。限定された方だけが読める場所で誰が読んでいるか知っている上で書いていたので、Hさんは少なくとも不特定多数に読まれたいという人ではなかったのでしょう。そういう方はいずれ書かなくなる。もっとも、Hさんとは今はもうお付き合いが無いので、今でもHさんが小説を書いていらっしゃるかどうかはわかりません。日記は書いてはいないのでしょうけれど。日記と小説は別物ですからね。

そんなわけで、私は自分の書いた物だけでなく、他人の書いた物までもが大切な読み物という括りで見ている所がある為に、私が読みたいと思う書き手の方がもう書かなくなる、或いは書いた物を躊躇いなく削除してしまう事をとても悲しく思うのです。また読み返したいと思っていたのに、もう削除されてしまって読めないということがとても。以前はコピーを取ってローカル保存したものでした。流石に最近はそこまではしていませんが、時間があればそこまでして好きな読み物を残しておきたいと思ってしまいそうになります。そういえば、chazukeさんは御父様の日記も読む気はないということです。私の母も日記を書いているのですが、私は読みたいと思っているのですよ。何でも私の母は結婚する時に娘時代に書いた日記を全て燃やしてしまったと言っていましたが、私には信じられない事でした。というか、私はその日記をとても読みたかった。結婚後書かれた日記は少しだけ読ませてもらった事がありますが、それがたとえ一行だけの一言日記だったとしても、私が生まれた頃の母の目線というものが知れて嬉しく思ったものです。

私はこれからもこのように書いていくことでしょう。私が私の為に書き続ける日記を。誰かの目を少し気にしながら、其れでも正直に、私は私の記憶を綴り続ける。其処に私だけの意味を持たせる為に。私がしっかり生きていく為に。其の為に私は書き続けるのです。
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罪深き人間
hirikaさんの書かれたエントリを読んで思った事を少々書かせて頂きます。

hirikaさんは「距離って必要だと思う。物理的にも心理的にも。どうにも許せないことや消せなかった憎しみがそれらによって薄らいでゆく。もちろん祖母が変わったことも大きいのだけど、距離を置くことで受容出来るようになれることもある。」と書かれていました。彼女はご自分のおばあ様の事でそう書かれていますが、これを読んだ時、私は他人に対しても当然そうであるなあと思ったものです。
私は幸運にも誰かに対して憎しみを抱くとか許せない事とかがそれほど多い方ではありません。勿論、全く皆無というわけでもなく一つか二つはあります。其の中には距離を置くということが出来ないものもあるのですが、これはもう私の心得次第で何とかなることでしょう。というか、なんとかしなければ生きてはいけない事なので、半ば諦めて「それ」に寄り添っていく所存です。
ですから、hirikaさんの書かれた事で思いを馳せたのは、私に対しての誰かの憎しみ、消せない許しが、いずれ薄らいでいって欲しいなあと思いました。
虫の良い話だとは思います。其の方々が私のこの気持ちを知ったら、益々私を嫌いになる事でしょうけれども。其れでも私は願いたいのです。

どうか、受容とまではいかないまでも、私との事を良い想い出として心の底にでもしまって置いて欲しい。
私がどんなに反省したとしても私の言葉は恐らく嘘くさいとしか聞こえないでしょうけれど。
其れでも願わずにはいられない。
もう二度と逢えない私達なのだから。
もし、私という存在が思い出される事になっても、「ああ、そんな人もいたなあ」と、他の人達を思い出す時のように薄っすらと思い出して貰えたら…。
其れくらいの小さな願いも私には持ってはいけないのだとは思いたくない。
たとえどんなに私が最低最悪な人間だったとしても。
ですが、こういったエントリを書く事自体が既に「それがいけないのだ」と言われるのかもしれない。

あなたを想って想い過ぎて夢にまで見たあの頃。
私のしでかした間違いを修正出来ぬまま、私は更に愚かな行為を続けた。
其れはただの醜い執着でしかなかった。
私は其れを愛なのだと信じて疑いもせず。
そして私達は永久に分かたれてしまったのだ。
どんなに泣いてもどんなに叫んでもあなたは私を拒絶した。
泣けば泣くほど叫べば叫ぶほど、あなたの心は冷たくなって。
今の私はやっとあなた以上の大切な存在がある。
だから本当は私の願いは望むべきではないのだろう。
其れでも願わせて欲しい。
私は人に嫌われたくないそんな愚かな子供と同じなのだから。

嫌われたくないのならそういう態度を取ればいいのでしょうが、嫌われまいと行動しても、どうしても嫌われてしまう事もあります。其れは恐らく私が人間的にどこか欠陥があるからなのでしょう。なので、其れを覚悟して生きていくしかない。でも、其れでも願わずにいられないのです。其れが私なのです。私は其れほど罪深き人間なのですね。

  

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