Photo: 「無敵の心身」
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別人格にも責任がある
「別人格の犯行に刑事責任を負う」という見出しの記事を見ました。(参考:「YOMIURI ON-LINE 母殺害 長女に懲役12年 名古屋地裁 遺棄共犯は猶予判決」

名古屋市で起きたこの事件は娘が母親を殺したという事ですが、その共犯の女性は犯行時に別人格であったそうです。
彼女は解離性同一性障害、所謂多重人格と言われる病気であり、それを認定された上で刑事責任は負う事が出来ると指摘されました。

それは当然の事でしょうね。別人格であるからといって、それで殺人を犯して良いという理由にはならないし、殺人は殺人です。殺された女性の娘も、どうやら母親に虐待を受けた過去があり、それを理由に殺人に及んだという事ですが、その虐待も十年以上前の事だったそうです。それも矢張り殺人を犯して良い理由にはなりません。

ただ、私が気になったのは「虐待は十年以上前で被害者に落ち度はない」とした事ですね。
単純に考えれば、虐待をした母親に全く落ち度がないとは言えないと私は思うのです。たとえそれが随分昔の事であったとしても、子供にとっては一生心に残る傷ですから。
ですから、自業自得と言えなくもない。
しかし、虐待があったというのも、それについては真実なのかどうかは私には分かりません。そして、もしそれが本当の事だとしてもどの程度の虐待であったかでまた話は違ってくると思うのです。

虐待はとてもデリケートな事柄です。
死に至る恐れがある虐待は言語道断ですが、躾の上での体罰等までも虐待と一緒にされてしまうのも親にとっては酷な事ですからね。
ただ、巷で耳に入る虐待関連の話を聞いた私の印象では、子供は真正の虐待を受けた場合、それを虐待とは感じないものだと思いました。
ですから、虐待を理由に子供が親を殺すと言うことは、どうも違うかなと今回の事件では感じました。

真相は分かりません。
虐待が本当にあったのか。
母親はどういう人であったのか。
娘はどういう子供だったのか。
多重人格の女性はどういった人物だったのか。
ただ、嫌な事件だなという後味の悪さだけが私の心に残りました。

子が親を殺す。
親が子を殺す。
孫が祖父母を殺す。
祖父母が孫を殺す。

今だけではないのでしょう。昔もそういうことはあったのでしょう。
ですが、簡単に人は人を殺してしまう事に私は恐怖を感じます。
コメント
この記事へのコメント
多重人格
虐待があったのかなかったのか、いわゆるAC(日本で言う、広義の)だったのかどうかという問題もとてもデリケートですが、本当に多重人格だったかどうか、というのもとっても難しいです。それが詐病かどうか見分けるのはむずかしく(ちなみに私もこの記事の裁判の模様をどっかで読みました)アメリカに多く日本には少ない、実はいないんじゃないかという指摘もあります。(多重人格というものは存在しないと言っているわけではありません。念のため)
「そして殺人者は野に放たれる」(日垣隆)という本がありまして、読みたいと思いながらまだ入手してないんですが、裁判における精神鑑定というのも、かなり問題があるようです。
2005/03/30(水) 03:15:36 | URL | ぶんだば #XyRt/Vrw[ 編集]
私にも
多重人格が本当にあるのか分かりません。
人間とはその身内に様々な性格を持っているものだと私は普通に思っているので、その意味で全ての人間は多重人格であると私は思っているのですよ。
但し、その多重人格は互いが互いを認識しているものでなくてはなりません。
そういうことで、私の考える多重人格は病気ではないのですね。それが人間というものだと私は考えているわけです。

病気として知られている多重人格は、互いの事を知らないと聞きますし、記憶が飛ぶと言う事ですよね。
私の多重人格の知識はTV等で見たものだけですから、とんでもない見当違いをしているかもしれませんが。
2005/03/30(水) 10:00:42 | URL | 縞瑪瑙 #XWELPq6Y[ 編集]
私が読んだ多重人格は
といっても「ビリー・ミリガン」を読んだわけではありませんが(^_^;)
・互いのことを知らない
・が全員を知っている「統率する人格」がある
・その「統率する人格」が、場合に応じて適切な人格を表面に出すらしい
・知らないはずの言語で喋ったりする
・性別年齢などばらばら。
という感じのようです。


日本で言われるいわゆる「二重人格」は、裏表がある、くらいの意味ですね(^_^;)
2005/03/30(水) 10:20:46 | URL | ぶんだば #XyRt/Vrw[ 編集]
そうですね
知らないはずの言語を喋るというのは聞いた事がありますね。

表裏があるだけでなく、考え方などが多岐に渡る場合、まるで多重人格者のようだなあと私は思う事があるのです。

それぞれ違う考えを否定できずに「それもある」「あれもそうだ」といった具合なのですが、他人には、それは一本筋の通った考えを持たないだけの人間であると思われてしまうのでしょうね。
2005/03/30(水) 15:08:46 | URL | 縞瑪瑙 #XWELPq6Y[ 編集]
そ、そうなんですか?
わたし、そういう人は「価値観の多元性を認められる」ということで、理想とすら思っています。
普通は「自分はこうなんだから他人もこうのはず」ひどいと「じぶんはこうなんだからお前もこうしろ」でしょう?

一つの事象についていろんな角度から見ることができるからこそ、「あれもあり」「これもあり」「たぶん愛」「きっと愛」(話が変わってるよ!)で、素晴らしいと思うんですが、それって「筋が通ってない」んでしょうか?「筋が通ってない」という人のほうが狭量のような…
2005/04/01(金) 02:02:06 | URL | ぶんだば #XyRt/Vrw[ 編集]
そうなんですよ(笑
と、言いますか、今気付いた事なのですが、私の言う筋が通らないというのは、自分の提示した意見を他人が反対し、それもそうだなと簡単に考えを翻すという意味合いだったかもしれません。
それはあなたの言う「多元性を認める」とは違いますよね。

恐らく、本当に筋の通った考えをする人は、己の意見は翻さずに、他人の意見も尊重するという事なのでしょう。
つまり、その場しのぎで相手の意見に賛同するのではなく、自分の意見は正しいと思いつつ、相手の意見も吟味し、やはり違うようだと思えばきっちりとそれを明言する、或いは「そちらの方が正しいようだ」と認めるという態度なのでしょう。

それにしても、「たぶん愛、きっと愛」ですか…私の母は彼女に似ていますよ。(笑
2005/04/01(金) 09:24:43 | URL | 縞瑪瑙 #XWELPq6Y[ 編集]
ああ、そうかもしれません
なんか、要するに他人には他人のものさしがあるんだから、ってことですよね。そして、それが自分にとって受容できるものであれば取り込むし、ということでしょうか>価値観の多元性を認める。

メノウさんのいう「すぐ他人の言動に左右される」っていうのは、日和見主義みたいな感じがしますね。

ところで、お母様…美人でうらやましい。うちなんか自分じゃ美人だ美人だと言っているが所詮伊東ゆかり(うちのブログのTBSなんたらの記事をご覧ください。あの番組で網タイツの彼女の「これも愛あれも愛~」が流れたんです)
2005/04/01(金) 10:59:58 | URL | ぶんだば #XyRt/Vrw[ 編集]
おや
伊東ゆかりさんも美人ではないですか。(笑

>それが自分にとって受容できるものであれば取り込むし

そうですね。
そして、受容できないものはスルーすることで要らぬ攻撃はしないということですかね。

とは言え、私もまた左右される人間なんですよ。
自分では日和見主義、ノンポリであると思っています。
ただ、今までの私はそれを卑屈に感じていたのですが、ノンポリである事にもっと堂々としていようかなと思い始めています。
2005/04/01(金) 11:16:47 | URL | 縞瑪瑙 #XWELPq6Y[ 編集]
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