Photo: 「無敵の心身」
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
何故、貴方は存在するのですか?
フランスに在住のある画家が言っていました。フランスでは労働組合の力がとても強いのだと。
いつでもどこかでストライキをやっているのを見かけるそうです。
特に交通機関のストライキは激しく、電車の中でアフリカ人が車掌を殴ったとか、女車掌が強姦されたという理由でフランス全土の鉄道が予告もなしにストライキを決行した事もあったという事です。

他には、とある住宅地でアフリカ人の子供がいつも騒ぐので管理人が注意をすると、人種差別をしているから訴えると言ってきたり脅迫をされたりする事もあるそうです。

それだけでなく、ユダヤ人の原理主義者たちも住んでおり、彼らはユダヤ人の祭日には何もしてはいけない、電気などには触れてはいけないという事で、扉のボタンも誰かに押してもらうのを待っていたりするのだそうです。

フランスはキリスト教の次にイスラム教の信者が多いという事も私は知りませんでした。
イスラム教では女性はスカーフを被らなくてはならないというのは有名ですが、画家の話によるとある学校では女生徒たちがイスラム・スカーフを被っていき、体操・水泳を一切しないという事が問題になったこともあったそうです。
イスラム女性は病院も夫に付き添われてゆき、診察も女医でなければならないそうです。

数年前には少女が焼き殺されたこともあったということですが、それもスカーフを身に付けていなかったという理由だったらしいのです。
イスラム・スカーフをつけていないという事は売春婦と同じであるという考えらしいのですね。

これらを知った私は、宗教とは一体何の為に存在するのだろうかと深く考え込んでしまいました。
確かに私は無神論者ではありますが、宗教を信じる事はその人の自由であると思い、それについては尊重したいと思います。
ですが、様々な宗教関係から起きる悲惨な出来事、残酷な行為を知るにつけ、私はどうしても宗教に対して嫌悪感を抱かずにはいられなくなります。

宗教とは人間を幸せにするものではないのですか?
では一体宗教は何故存在するのですか?
宗教を何も知らない私にとっては、宗教を語る資格はないのでしょうが、それでも問いたい。
神よ、本当に貴方が存在するというのなら、教えて欲しいものです。

貴方は何の為にそこに存在しているのですか、と。
コメント
この記事へのコメント
人間が好きなのです
私が日本人を好きだというのも、私が日本人の気質ではないからなのかなと思いました。

私は「精神的に自ら規律を作り出せない人間」であると自分を見ていますし、「村落共同体」というものに嫌悪感を抱いているのですね。
友人にも言われた事がありますから、あなたの考えは西洋人の考え方だな、と。

ともすれば、道徳観が他人とずれてしまう事がある私です。その事で非難されてしまう事もあるのですが、だからと言って日本人の道徳観を蔑ろにしているわけではないのです。

私は自由になりたいと思いつつも、私が思い描く自由は手に出来ないだろうなと思っています。
覚悟がないとかではなく、私は精神的に弱い事も、毎日の生活の不自由さも自分にとって必要なものなのだと思っているのですね。
私が目指しているものにとって必要なのだと、そう思っているのです。

ですが、ストレスは出てくる。それは我儘だと言われるでしょうが、それでもどうしても不満は出てきてしまうものなのです。
だから、私は懺悔を聞いてくれる相手が必要になってくるのです。
その懺悔が私にとっては愚痴という事なのですよ。

もっとも私はキリスト教は信じていませんし、信じるのは私の目の前にいる人間だけです。
だから教会で懺悔するのではなく、友人に愚痴を聞いてもらうのです。
それが私の懺悔ですね。
2005/04/03(日) 14:05:35 | URL | 縞瑪瑙 #XWELPq6Y[ 編集]
ヘンな話ですけど
私も村落共同体は嫌いです(笑)で、日本人と彼らの違うところは、残虐さっていうのかなあ、日本って切腹とか首切りとか、最初から苦痛のない殺し方が多いのに、西洋の殺し方って残虐でしょう?ああいうのって、やはり狩猟民族だったからかな、なんて思ってしまうのです。

あと、日本人の特質として「みんなと当り障りなくすごすけれど、誰か一人のいうことを全面的に信頼してその人のために行動指針を変えたりしない」っていうのがあるかもしれません。

たとえば、神っていうのは、かなり精神的に価値観や行動を縛りますよね?メノウさんの「懺悔」の相手は、たぶんそこまでメノウさんを縛らないでしょう?そういう感じかな、と思うんです。
昭和天皇が「現人神」であらせられたときでさえ、人々は「昭和天皇のため」にすべて捧げたわけではなく、なんとか生き延びようとしたりしたんですよね。

歴史的にみれば、せめてせめられて…が大陸の歴史で、最初にユダヤ教ができて、納得できない人たちがキリスト教にして…と言う風に変えていくことで、ある種の統率も取れるようになったのかもしれません。そしてキリスト教も十字軍だの魔女狩りだの、結構いろいろ?やってますしねえ…ってやっぱりよくわからないわ。

ちなみに、メノウさんの文を読んで「精神的に規律を作り出せない」とは思いませんよ。
それに「精神的に弱い」特性って、たぶん宗教に走る特性とは違うんじゃないかなって気がしています。カルトに走る人の「弱さ」と違うなにか…カルトに走る人って、そこにどっぷりつかることで「幸せを手に入れた」と信じるわけですから…だと思っています。
私も精神的に弱いし、日常生活も不自由。
でも、自由な人なんて、世の中にたぶんいないですよ(笑)自分勝手とも逃避とも空想とも、自由は違うのだもの。どこかのブログとシンクロしてきましたが(笑)
2005/04/04(月) 00:28:35 | URL | ぶんだば #XyRt/Vrw[ 編集]
血生臭い話ですが
西洋の殺し方が残虐……それは死刑での殺し方でしょうか? 首吊りとか?
切腹については私も詳しくはないのですが、確かに介錯で首を切り落としますが、どのように切腹するかを聞いた時に私はそこまでするのかと愕然としましたね。
違っているかもしれませんが、右わき腹から横に切り、そこから心臓に向かって切り上げると聞きましたが。
なので、私は切腹ほど残酷な刑はないと思っています。
断頭台での刑にはそれほど残酷性を感じていませんし。

すっかり血生臭い話になってしまいましたね。(笑
話を変えましょう。
ぶんだばさんの言われる通りで、私の懺悔を聞いてくださる方は私を全く縛ろうとはしない人です。
そして、自分もまた縛られる事を嫌う人です。
私は以前は兎角縛りたがる人間だったので、今は縛る事も縛られる事も是とは思っていません。
だからか、友人の一人には「落ち着きましたね」と言われました。それを聞いて私はとても嬉しかったですね。

それから、精神的に規律を作り出せないという話ですが、厳密に言うと作り出す事は出来るのですが、それを守るという事が出来ないようなのですよ。
作り出しても次から次へと破ってはまた新しい規律を作るといった感じでしょうか。
ですから、精神的に弱いのかなあと思ってしまっているようなのですね。
ぶんだばさんの言われる通り、私は決してカルトに走る事はないですね。その弱さは無いと私も実感しています。

私はどのような幸せを手にしたとしても、それに満足しないのではないかと思っています。
人間にとっての幸せなど幻想であり、それを追い求めている過程こそが幸せなのだと思っているからです。
2005/04/04(月) 01:02:59 | URL | 縞瑪瑙 #XWELPq6Y[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

  

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。