Photo: 「無敵の心身」
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無駄な事など一つも無い
徳保隆夫氏の「閉鎖する前に考えてほしいこと」を読みました。

冒頭で「きちんと死に向き合わずとも生を享受できるのが、この世界です。」と徳保氏は言われています。だから死を考えずにサイトを立ち上げる事を責めることはないと。
これは現実で生きる私達にも言える事ですよね。
現実を生きている私達も自分が死ぬ事を分かってはいるのですが、日々の生活では「死」を考えずに生きていますから。それと同じだと思うので、私達がネット上でサイトの死を考えずに気軽にサイトを立ち上げる事を誰からも責められる謂れは無い訳です。
ですから、何時か突然サイトを閉鎖しても、他人がとやかく言う事ではないと私は思っています。勿論、言われる方もいてもいいとは思っていますが。

徳保氏はある日突然消え去ってしまうコンテンツに対して「あの劇的な展開、青天の霹靂は、日常ではなかなかお目にかからない種類のものです。」と言われています。
実は、私はその気持ちが分からない人間です。
他人の書いた物に興味がないというわけではありません。
私は自分の好みの文章を書かれる方の書き物には特別な気持ちを持ちます。ですから、執着をしていないわけではないのですが、今までに突然に消された経験がないのでその悲しいという気持ちがどうもよく分らないようなのです。

話は少々変わりますが、私はテキストだけでなく素材屋も覗くのが好きなのですが、特に素材屋は閉鎖になるのを沢山目撃してきました。
素材屋はマナーの悪い使用者のせいで嫌な思いをする確率が一般のサイトより高いからだと思うのですが、素材屋の場合はいきなり閉鎖をするという事はあまり無いように思います。最低でも一ヶ月程の猶予を与えて下さいます。
私の友人はその度に好きな素材屋の素材を全てダウンロードするそうです。大抵は閉鎖後でも素材を使用させて頂けるようなので必死になって落としているようですね。

ではテキストの場合はどうでしょう。

好きなテキストが閉鎖とともに無くなると分っていたら、それを保存しようと思うでしょうか。
今まで、私は強い思い入れのある文章を保存してきました。それは日記だけでなく小説でもそうです。
最近ではブログで文章を書かれる方が増えていますので、私もブログの文章を読む頻度が多くなっています。
ところが、これは私の個人的な印象でしかないのですが、ブログで書かれている方はいきなり消してしまう事がないようなのですね。
これは全てがそうであると言う訳ではなく、私が好んで読むブログの管理人がいきなり消すという事をしないという事のようなのですが。

以前、別の場所で日記を書いていた時は、何人かの日記は残しておきたいと思い保存させて頂きました。相手には内緒に、ですが。
ですから、私はそれ程にコンテンツが消されてしまうのを悲しむのならば保存をすればよいのではないかと思うわけであります。
それをせずに消えてしまうのが悲しいだとか、残すべきであるとは私は言いたくないのですね。
私は徳保氏が「理由にならない理由でサイトを閉鎖する管理人を、私は恨みます。」と言われる気持ちは何となく分るとはいえ、どうしても彼の言う「閉鎖すべきではない」という「べきではない」と断定するのに違和感を感じたのですよ。
価値があるかないかは、確かに書かれた人が決める事ではなく、それを読む側が決める事ではあるのですが、万人にとっての価値あるものなどこの世には一つとしてないのではないかと私は思っているのです。
氏が価値があるのだと思っても、必ずその逆の「価値などない」と思う方もいるはずなので「べきではない」とは言わないほうがいいのではないでしょうか。
氏は「余談:価値観の押し付け?」の項で「私ほどしつこく「世の中にはいろんな価値観がある」と書いてきた人もそう多くはないと思う」と書かれているので、彼が一つの価値観だけに縛られている人間ではないと想像できるわけなのですが、如何せん、「閉鎖すべきではない」という発言が、少なくとも私にとっては「価値観の押し付け」に感じられてしまって些か心に引っかかりを持ってしまうのですよ。
できれば、断定ではなく「閉鎖されないほうがいいのではないか」という言い方をしてもらえたら要らぬ誤解や諍いを招かなくて良いような気がするのですが。如何なものでしょう?

私は色々な批判型のテキストを読んできては「何と無駄な事を書いているのだろうか」と思ったものでしたが、徳保氏の書かれたこのテキストを読んで、彼が「必ずしも閲覧者の働きかけが無意味とは限りません。」と言っている事が至極最もな事であると気付きました。

成る程、無駄な事など一つも無いのだなと。

どのような駄文であろうとも、たとえ書いた本人でさえも駄文だと思っていたとしても、何処かの誰かにとっては駄文ではないのですね。とすれば、もっと自分の書いた物に自信を持てれば閉鎖する事も削除する事も少なくなるのでしょう。
その為には、氏のように一見無駄ではないかと思われるような批判も必要な事なのだなと今の私は思いました。これも所謂「目から鱗」とも言うべき事なのでしょう。

私の正直な気持ちは、閉鎖するもしないも本人次第であると思っています。それは変わりありません。閉鎖したければすればいいし、氏のような方の書き物を読んだ事で思いとどまるのも自由であると思っています。
中には、そういう批判を読んでも頑なに閉鎖しか自分にはないと思う方もいるでしょう。それは誰にも止められない。それは氏も「閉鎖は管理人の自由」と最後に書かれているので「閉鎖すべきではない」という言葉は実は断定しているわけではないというのが分ります。恐らく、氏はこの一言だけを言いたいが為にこの長いテキストを書かれたのでしょうね。

「でもその自由のために泣く人がいると知っているかどうかというのは、大切なことではないかと思うのです。」

それさえ分っていれば、閉鎖するも閉鎖しないも各々の判断の元、好きにすればいいのだという事なのですね。
そして、私は氏が書かれたこの言葉に甚く心を打たれました。私もよく好んで使う言葉なのですが。

「悲しみ、恨み、悔しさを踏み越えていってほしいのです」

まさに、サイトを閉鎖してテキストを削除してしまう者は、それを忘れずにいて欲しいものです。
それは私自身にも言えることですし、友よ、あなた方にも言えることなのですよ。さあ、心して書いていきましょう。少ないながらも私達の書く物を好きだと言って下さる人々の為にも。
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