Photo: 「無敵の心身」
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
差別に普遍性はなし
差別用語にも繋がる言葉に対して、私はどちらかというとそれほど嫌悪しているわけではないのです。

例えば看護婦という言葉ですが、この言葉は別に差別用語というわけではないと思うのですが、男性の方も看護についているということで今は看護士という呼び方になっていますよね。
しかし、何故統一しなければならないのかが、私のような凡人にはどうも理解できない。
女性は看護婦、男性は看護士と呼んでもいいのではないかと。

上記の話題は、ある日記を読んで思ったことなのですが、その方は「痴呆」の呼び方が「認知症」に代わるのだと書かれていました。
やはり「痴呆」という言葉がよくない印象だからということなのでしょうかね。
少なくとも私はそうは思わないし、その方も差別意識は持たないと書かれていました。
しかし、私たちがそう思わなくても、そう感じてしまう人もいることは確かなのでしょうね。そうでなければ、名称が変わるということもないでしょうし。

あと、その方が書かれていたこと、性器の名称なども言葉にしにくいということで思ったことは、日本語名称と外国語名称ではどちらが言葉にしにくいのかなあということです。
私は日本語名称にそこはかとない色気を感じて好きなんですがね。外国語にはどうも情緒が感じられなくて、それほど好きではないのです。

それにしても、差別というものは個人の気持ち次第であり、普遍性はないと思うことは乱暴でしょうかね。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

  

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。