Photo: 「無敵の心身」
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
私の愛し方
たとえばこんな話をしよう。

聞かされる身の上話を信じるな。
不幸な話、幸せな話、それらを信じるという事は目を曇らせる。いや、目ではなく心か。
まだ不幸せな話はいい。
人は不幸な話を聞かせて同情を貰いたいと思っているのだろうと非難をするが、其れの何処が悪いのだと私は思う。
同情が欲しい者には同情を上げればいいじゃないか。
そんな簡単な事を何故放棄する?
同情が欲しいなら私は幾らでも欲しがる者に与えよう。

だが、幸せ話は決して信じない。
幸せ話には落とし穴があるから。
心が蝕まれるから。

尊敬する彼の言葉に「他人の幸せを祝福してやれ」というのがあるが、なかなかそのような気持ちにはなれないものだよ。
己が世界で一番不幸だと思い込んでいる人間は特に。
他人のその幸福が、自分に与えられたからといって幸せになるかどうかは分からないとしても、其れでも望んでしまうのだから。

私もせめて心だけでも愛する人と繋がりたい。

しかし、望めば望むほど望みからは遠ざけられるのが常で、人は己の望みに縛られ、どのような幸せでも幸せを感じる事が出来なくなる。
其れは他ならぬ自分自身が縛り付けているという事に気付かないまま、更に人は不幸から抜け出せなくなるのだ。

私もだよ。私も己を世界で一番不幸だと思っている。
だが、世界で一番幸せでもあると思っている。
此処まで来るのにどれだけの葛藤をしてきたか、其れを知る者は誰もいない。
いや、たった一人其れを知る者が居る。其れは「私自身」だ。
私だけが私の真実を知っている。

そうだ。使い古された言葉だとしても、私はこれが真実だと思っている。己を不幸で幸せだと思えるのは自身に他ならないと。一番愛してやれるのも他人ではなく自分しかいないのだと。そして、己を愛する事は実はとても簡単なんだと。だが、気付くのは難しい。其れに気付けた私だからこそ言える事でもある。
気付かせてあげるわけにはいかない。
たとえ聞いたとしても誰も信じないだろうし、聞いた事で絶望を感じる者もいるだろう。

だから私は語らない。ただ気付けと、其れだけを私は此れからも言い続けるだろう。気付いて欲しいと思いつつ。
ただ忘れないで。私は私を愛してくれる人には其れだけの愛を返すよ。間違い無く。其れを信じるも信じないのもあなた次第。此れが私の愛し方であり、そうやって私は誰かを試している。

そんな私でも愛せるとしたら、きっとあなたも幸せになれるよ、と。

私は私をやっと愛する事が出来た。だから、私も私から愛されているのを心で感じている。こんな幸せな事はない。其の幸せを大切な人達にも感じて欲しいと心から願っている。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

  

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。