Photo: 「無敵の心身」
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世界があるから私が居る、私が居るから世界が在る
友人であるやまめさんの「新・柏原日記 砂礫王国」を読みました。

私のこの場所はコメント欄もトラックバックも受け付けるようにしてありますが、コメントもトラックバックもされる事がほとんどありません。
時々、私の下らない呟きに仲の良い知り合いが痛烈な一言を残していきますが、それも他人が見たら「何だコイツは」と思われるくらいであって、私自身はその人に何を言われようが痛くも痒くもない訳です。
ですが、この私も傷付く事はあるわけです。書き込みをしていた場所の管理人を傷付けているとは気付かずに書き込みをし続け、更に私の書いた記事でその相手に追い討ちをかけるような行為に及んでしまっていた事。それらは、私が馬鹿であった為に引き起こされたものであり、私自身が己を傷付ける結果になってしまったわけです。

そんな私は人格者では有り得ません。

そして、やまめさんが「新・柏原日記 誰かにとっての私の価値」で書いているように、人格者ではない私も「私の価値は私が一番よく知っている!」とは思っていませんし、「誰かにとっての私の価値」も今は悩んではいませんね。昔は自分の価値を他者に見出そうと必死になっていたものでしたが、やっとの事でそういう想いからは抜け出たようです。
この場所がどのように閑散としていても、自然体でこうやって書きたい時に書く事は気持ちがいいと思っています。
私の大切な友人も好きな事を好きなだけ書いているようですが、昔のように彼女を祭り上げて彼女の自尊心を擽る人もいなくなっているようです。彼女も今は伸び伸びと楽しく書きたい事を書いているようです。

ですが、やまめさんが仰る通りで、他人の目は多少でも気にしないといけない事だとも思っています。私や私の大切な友人は以前は他人の目をとても気にし過ぎていました。しかし、その気にし過ぎは何も良い結果は齎しはしませんでした。ですから、やまめさんのこの言葉には深く頷きました。

「私の世界は、私とその外の世界との関わり合いの中にあるから。」

私もそう思います。こんな私でも私なりの関わり方をしているつもりです。わざわざどういう関わり方かは言いませんが、私たちは矢張り独りではないのだなと痛感しているのです。

世界があるから私が居る、私が居るから世界が在る、そんな感じでしょうか。
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