Photo: 「無敵の心身」
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検索もまた体験となる
「セックスなんてくそくらえ - Do No Google (ググるな阿呆)」という記事に目が留まりました。

私の友人もよく「分からなかったらググれ」と言います。知ってるのならば教えてくれればいいのにと私も思うのですが、それでは私の身に付かないというような事を友人は言っていました。つまり、「ググる」ことは「体験」とも言えるという事なのですね。
正午さんの言われるように「身を切るような試行錯誤の痛みを覚悟した実践以外に、ノウハウを得る方法などない。」という事と同じ事がGoogleで検索をするという事ではないでしょうか。

検索エンジンで導き出される知識は全てが正しいという訳ではありません。其の中から取捨選択する上で間違った選択をしてしまう事もあるでしょう。分からないから検索したのですから、選んだ知識が正しいかどうかなんてその人には分かる筈が無いのですからね。ですが、その間違った選択をしてしまうことこそが「体験」へと繋がるとしたら?
つまり、間違った知識で間違った事を書けば、誰かからそれを指摘され、時には罵倒されてしまう事もあるかもしれない訳です。そういう体験をして正しい知識を獲得する事もあるとしたら、それも実践としての体験とは言えませんか?

検索してでも探そうとするのはまだましだと思うのです。それには「探そう」とする能動的な姿勢が見られるのですから。だから、私は検索で知識を獲得しようとするのには賛成したいと思います。それが私の考えです。
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