Photo: 「無敵の心身」
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愛とは相手の理不尽さも愛しいと思えるものなのだ
最近、お邪魔するブログ等では結婚話で持ちきりのようですね。何処のブログだったか、結婚は幸せか不幸せかと問題定義をし色々ご自分の考えを書いた上で、結婚してもしなくても幸せになる人はなるしならない人はならないという結論に至ったようでした。

結婚して互いに成長する事に意義を見出す人もいれば、成長などしなくてもいいと言い出す人もいる、自分は相手のこんな理不尽さに我慢しただとか、それを我慢出来なくなって別れてしまっただとか、二人で楽しみも悲しみも苦しみも分け合う事で共同作業のように暮らしていくという人もいるとか、人々の結婚に対する思惑は様々だと思います。

だから、結婚することで幸せになるかならないかは誰にも断定は出来ないのでしょうね。

何と言うか、私の友人はこの話を聞いたら「下らない」と一蹴しそうです。(笑)
その人は無駄な事を嫌っている人で、平行線にしかならない事を議論する人々を軽蔑している所があるので。
そんな友人も結婚をしているのですが、私から見ればその人の配偶者もかなりの理不尽な人間だと思うのですよ。どういった風に理不尽かはプライバシーの問題もあるので此処には書けないのですが、まず私ならとても相手に出来ない、一緒には暮らしたくない相手です。しかし、友人は上手く操作しているようですよ。理不尽な人間を操作するその友人も見上げたものですが。友人曰く「これくらいの理不尽さを我慢出来なければ結婚なんて出来ないよ」と言っていました。ちなみにその友人は男性です。

恐らく友人は「愛とは相手の理不尽さも愛しいと思えるのだ」と言いたかったのかなあと勝手に思ったのですが、さてどうでしょうか。決してその答えは友人からは聞けないとは思いますけれどね。
とは言え、その理不尽さも限度というものもあると思うのですよ。確かに私から見れば友人のお相手は理不尽ではあるのですが、他の知り合いの夫婦の愚痴等を聞いていると、まだその理不尽さは許容範囲かもしれないなと思わせる所もありましたから。

結局は人が変われば結婚観も変わるという事です。自分の結婚観は全ての人に当てはまるものではないので、比べるのも無理な話であり、ましてや違うからといって「それはおかしい」とか「あなたなどまだましだ」だのとは言えないという事ですね。つまりは矢張り、友人が言うように「下らない」となるわけなのでしょう。

つまり、私が書いたこの記事も「下らない」と、恐らく友人には言われる事でしょう。(苦笑)

しかし、その下らない事を考えてしまうのも人間というものなのではないでしょうか。少なくとも私は友人とは違い、そんな下らない事を考えてしまう人に愛しさを感じてしまうのですがね。(笑)
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