Photo: 「無敵の心身」
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話すという事
以前、別れた友人との事で迷走中であった私の話に付き合ってくださった方がいました。あんなに心の内を吐き出せて当時は本当に良かったと思い、其の方に感謝したものでした。

話を聞いて頂いただけであるのに、何だか本当に傍に居て、其の手でぎゅっと抱き締めて貰ったような気がしたものでした。
私の好きなアーティストがいつも言っているように、背中をそっと押してもらった気持ちになれたのですね。
泣く事が出来たのも久しぶりだったと思います。
其の方と話していて、会話の中での言葉がキーワードとなり、私は自分の頑なな心がいけないのだという事に気付かされたのです。そして、もう一度人というものを信じてみようという気持ちになったものでした。

信じられるかもしれない。
こんな私でも。
また信じたいという気持ちになってきた、と。

だから、あの時、勇気を出して其の方に声をかけて良かったと思いました。

そういえば、其の方とお話をした後に、読んだ新聞に其の方との会話に出てきた言葉が書かれていたので不思議な気持ちになった事がありました。其れには、ある人が死にに来る人に対してこう言うのだと書かれていました。

「死にたいなら、どうぞ構いません」と。

死にたい人に「死ぬのはやめなさい」とは言わないのだそうです。
そして、私の話を聞いて下さった方もこれと同じような事を言っていました。リストカットをする人に「してはだめだとは言わない」と。

ただ新聞に書かれていた「死んでからのほうが辛い」というのには、私は少し疑問を持ったのですよ。
死んだ後の死んだ人の事は誰にも分からないのではないでしょうか。
だから、「辛いのだ」と言われても、私は容易にそれを信じる事が出来ません。
本当に死にたい人というのは、サインなど見せずにいきなり死ぬのではないでしょうか。いえ、サインを見せないということはないのでしょうけれど、誰かに助けを求めているうちは本当に死ぬことはないような気がします。勿論、助けを求めているとは本人は思っていないとは思うのですが。

「死ねばすべて終わり」と思っている自殺志願者に、死後の世界とか魂の永遠を説くよりも(其れも大事だとは思いますが)、矢張り残された誰かの事を思い出させる事が一番有効なような気もします。
自分は独りなのだ、誰も自分の事を気にかけていないのだと本人は思っている事が多々ありますが、そんな事は滅多に無いと思いますから。誰か一人は必ず気にかけてくれる人がいるはず。

そう思う事は傲慢な事でしょうか?
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