Photo: 「無敵の心身」
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手放す事もまた愛なのだ
時折りアクセス解析を確認してみるのですが、今朝は「彼の冷たい視線の夢」というキーワードでアクセスして下さった方がいたようです。「冷たい視線」という言葉で私の過去に書いたエントリがトップにありました。其れが「冷たい視線は醜い心の表れ」です。2005年4月14日に其のエントリは書かれているのですが、こんなものを私は書いていたのですね。恥とも言える私の愚かな過去を。

何処かで元気に暮らしていると祈ってから4年。君はもう既にこの世の人ではない。君は旅立ってしまった。君が亡くなったと知った時、私は探したよ、君から貰った最後の手数を。だが、探しても見つからないのだ。あの手紙はいったい何処に行ってしまったのだろう。こんなふうにして、私は手放したくなかったものをどんどん手放していくのだ。だから、私は、二度と手放すものかと益々執着してしまうのだろうな。なんと愚かな。時には手放すことも愛なのだろう。その見極めが出来る自分でいたいものだが。

失う怖さを覚えたから他人との関係を取れるようになったと私は書いたのですが、果たして其れは本当にそうだったのだろうかと今は思っております。むしろ、失ってもいいという気持ちがあれば、互いに傷付けあう事もなくずっと一緒に歩いていけるのではないでしょうか。そんなふうに最近では思うようになりました。ある人のおかげで。本当に失いたくない人なら、一緒に歩いていて道がそれてしまっても、いつかまた再び巡り会って一緒に歩ける時もくる、と。自分が自分らしく生きていけば、失いたくないと思っている人もその気持ちをきっとわかってくれるはずだ、と。無理に自分の歩くペースに巻き込まなくても、それぞれがそれぞれの場所で自分のペースで頑張っていれば、そして、それを「あいつも頑張ってるな」と見て自分も頑張れる、そんな関係が一番良い関係なのではないかと、そんなふうに思えるようになりました。

だが、其れも死んでしまってはどうしようもない。私は生きねばならぬ。私が愛する友人達の為に。「ああ、あなたも頑張ってるんだな。自分も頑張ろう」と、そう思って貰う為にも。君よ、天国にいる君よ、私を許して欲しいとは思わない。だが、私は過ちを抱えたままでも生きる価値はあると思っているよ。同じ過ちを抱えている人の気持ちが私にはわかるからだ。それだけでも生きている価値はある。そうは思わないか?たとえそれは欺瞞だと謗られようとも、醜い心の持ち主だと石を投げられようとも、私は私の信じる道を進むだけだ。それが私の本当の友情なのだと信じて。
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