Photo: 「無敵の心身」
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其の瞳の先には僅かな光があるのだ
少し落ち込むようなものを読んだ小雨の降る朝、如何して私はそういったものに惹かれてしまうのだろうと溜息が出ていたのですが、暫く振りにやちさんの写真と文章に触れて、ああ、まだまだ私も大丈夫だなあと思いました。

こんなふうに私は大切な人たちにいつも励まされ、癒され、もったいないほどの救いを貰っているのですね。それに対して、私は何も返せない、返していない。如何すれば私は皆に何かを返せるだろうかと考え込んでしまうのです。如何あればいいのか、と。

私には何もできません。私の救いなどその方は求めていないでしょうし、私もまたその方を救いたいとは思っていないのですから。私の方が救われたいと思っているのですから、私は誰も救うことはできないのです。ですが、私は誰かに救ってもらえる資格はないのですね。本当ならば「救ってくれ」とも言えない立場。それなのに私は言ってしまう。「救って欲しい」と。

ただ、私は相手が救ってあげたいと思ってくれて救われるわけではないのです。私は相手が救おうとしていないのに勝手に救われてしまうのですよ。ですから、相手にとってはいつも不本意な存在なのです。「自分は救ったつもりなんてない」と、何度言われたことか。しかし、それでもそんな身勝手な私の謝辞の言葉を素直に受けとめてくださる人もいる。それがやちさんでもあるのです。

私は本当に恵まれた人間だと思います。このような我が儘で身勝手な私でさえも友と言ってくださる人がいるのですから。其処にいるだけでいいよと、そう言って貰える事がどれだけ私の心を強くしてくれるか。だから私は立ち続けることができるのです。この雨の降る中であっても。虚ろな瞳で空を見つめている人にも何時か気づくことでしょう。月並みな言葉ですが、雨は何時か止むのだ、と。
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