Photo: 「無敵の心身」
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この社会を憂う
先程、はてなのブックマークをつけてコメントをお書きした「ネット雑記。 - ちゃずけのきろく」のことなのですが、似たようなブックマークコメントをつけていたことを「日常雑記。 - ちゃずけのきろく」を読んで気づきました。いけませんね、年を取ると様々な事を忘れていくのですから。笑)

chazukeさんが、悪い事をしている誰かを正義面して晒している人達に対して嫌悪感を露わにしているのを見て、私も似たような気持ちを他の事例で感じたばかりであったので、同じように思う方がいるのだと少し自分に自信を持ちました。もちろん、私は自分が本当に正しいのだと思えない所がありますので、私達のような考えを持つ事を「其れは違う」と否定する方もいることは重々承知もしております。私の事を「非常識な人間」と言い切った方も過去にいたことですしね。

ただ、誰かを何かを糾弾する事は、其れはまるまる自身に返ってくるものなのだという事をわかっていない方々が多いと思うのです。ですから、そうやって、誰が見ても酷い事をなさる人達を、まるで鬼の首を取ったかのように晒すことを平気でしてしまうのでしょうね。御自分がどれだけ品行方正に非の打ちどころなく生きてきたと思っているのでしょうか。そんな人など誰一人いはしないというのに。

ところで、私も知り合いから聞いたのですが、もう齢80過ぎにもなる御老人が高齢者マークをつけずに車の運転をされているとか…余程運転に自信がおありなのかなあと思いましたが、其れでも、重大な事故を引き起こさなければ良いのにと心から祈っております。確かに田舎では車が必要不可欠になってしまう傾向があるのですが、御自分がどうかなるのならまだしも、他人様を巻き込んでしまう事を思うと、とても怖くて運転など出来ないと思うのですが、其れほど社会の高齢化が進んでいるということなのでしょうかね。これでは未来に希望も持てない若者が出て来てしまっても仕方ないのかもしれません。
何時か其の場所で
生きていれば必ず何時か死ぬのが私達人間です。
私も今までに何人も知り合いや親戚を見送ってきました。好きな有名人や作家も。
幼い頃に祖母や祖父を見送った時は、其れほど人の死というものに実感はわかなかったのですが、学校の先生などが亡くなった時にはさすがに死というものを身近に感じたものでした。
その後、仕事に就き、其の職場を辞して新しい職場で働きだした時に、かつて同じ職場で働いていた同僚のうちの何人もが病死をしたと風の便りに聞き、更に感慨深く死を感じたものでした。
そして、今また、今の職場の同僚だった方が亡くなったと聞きました。
ただ、其の方は定年退職をされて今は一緒に仕事をしている方ではなかったので、いまだに昨日まで一緒に顔を突き合わせていた者との死に別れというものは経験した事がありません。
ですが、それでも、其の方との思い出はまだ鮮明に記憶にあり、やはり、訃報を聞いた時には愕然としてしまいました。確かに、其の方が退職されてからの様子をご家族の方から聞き、もしかしたら近いうちにも…という思いもなかったわけではありません。今までとても元気でいらしたご老人が、退職をした為に認知症になってしまわれたり、寝たきりになってしまわれたりするのを幾つも聞いてきたものですから、恐らく其の方も…とどうしても思ってしまうのは致し方ないと思います。
それでも、其の方が辞められてからまだたったの2年と半年ですよ。
あんなに元気だった其の方が、たったの2年と半年で亡くなってしまうとは…今夜は其の方の声や話し方、表情を思い出して夢にまで見てしまいそうですね。

いずれ、私も死にます。
其れは間違いない未来の出来事です。
此れを読んでいる「あなた」も何時か死にます。
其れは避けようがない運命です。
後悔の無いよう生きたいと強く思いました。
外では今風が吹いています。
まだ夏にならないひんやりとした風でした。
其の人は其の風に乗って旅立ってしまわれたのですね。
何時か其の場所に私も逝きます。
ですから、其処で出会う事もあるかもしれません。
其の時は、色々とお話を聞かせて下さいね。
心よりご冥福をお祈り致します。
今年も笑える年に
去年の始まりは、この一年が穏やかに過ぎてくれるか如何かを気にしていたのですが、思いのほか、穏やかに過ぎてくれたので安心して締めくくれました。さて、今年はどうなるでしょうかね。
どう思おうが、起きる事は起きてしまうでしょうし、起きない事は起きないことでしょう。なので、心配するよりは起きてしまってから考えれば良い事なのです。そう思うようにしなければ生きてはいけない。年を追うごとにそう思うようになりました。が、矢張り人間すぐには変われぬものでして、どうしても思い馳せてしまいます。今年も穏やかに過ぎて欲しい、と。

新年一日目に聞かされた家族の暗い話に心を痛めつつ、たとえ何があってもちゃんと生きていこうと、頑張ろうと心に誓わねばと言い聞かせる新年明けとなりました。どうぞ、こんな私ですが、今年も何卒宜しくお願い致します。
皆様、御機嫌如何ですか?
明日から12月ですが、今年もあっという間に一年が過ぎようとしています。
皆様にとって今年はどのような年だったのでしょうか。私は近年無いくらいに穏やかな一年となりました。とはいえ、其れでも多少のストレスはあったのですが、そのストレスの原因も私の見勝手な気持ちから生じるストレスであるので、其のストレスはつとめて無視するように心掛け、この一年の穏やかな日々に感謝しつつ、また来年も穏やかに過ぎれば良いなあと思うようにしております。

子供の頃は年末、其れも31日の夜中から新年にかけて、一年を振り返る日記を書いたものでしたが、大人になってからはなかなかそういった日記を書く時間が取れません。今年の年末も恐らくそのようなものは書けない事でしょう。なので、今日は少々時間も取れたということで、このようなエントリを書いてみました。出来れば12月中にもひとつくらいはエントリを上げる事が出来れば良いなあと思っております。

ということで、私にとっての今年の漢字一文字は「穏」になりますかね。(笑
此処は夢の国
『ブログ更新は気が向いた時、時間のある時で構わないと思いますよ。
誰かの期待に応えてやるものでもないでしょう。
書きたい時に書けばいいのですw』

かつて、そのように言って下さった友人がいました。やまめさんです。其の言葉を頂いた掲示板はまだ存在しています。私は、頂いたコメントで何かエントリが書けたら其の時は転載させて欲しいと言ったのですが、其の後、私はエントリを書いたのかどうか覚えておりません。ですが、もし過去に書いていたとしても、また何か書きたいと思ったら私は恐らく書いてしまうでしょう。誰かの期待に応えるわけではないのですから。私が書きたいとなったら書けばいい。其れでいいのですよね。

今回、ふと読み返しに行ったのですが、ごく僅かな私の書き込みと彼女のコメントを読み返していて、ああ、私達の出会ったあの場所が遠くなってしまったなあと思ったものでした。そう言えば、やまめさんもですが、やちさんも、そして尊敬する星の名前を掲げた詩人さんも、華の名前を掲げた友人も、叢雲さんも、あの崩壊したコミュニティで出会って仲良くなったのでした。

かつて、私は「この私は、確かに電脳世界での虚像に過ぎないです。」と言いました。其の言葉に対してやまめさんはこう言って下ったのです。引用というよりは転載ですね。(笑

『電脳世界で活動する面白さのひとつとして、虚像と実像の境目が曖昧になるという点が挙げられると思います。確かに生身の人間が存在しているのに、その存在を電脳文字という視覚以外で確かめる術はない。しかし、この電脳箱のこちら側にいるのは紛れもなく「やまめ」というHNを使う私という人間で、そちら側にいるのは「メノウ」というHNを使う生身のあなた。あなたの性別や年齢、姿形を知る術はなくてもあなたという人間が存在している事を私はこうして知り得るのですから面白い。
私の中のある種の意識が先鋭化され、純化されたものが「やまめ」という人格を形成していると思います。多分、メノウさんもそうなのだと思いますけれど。「なりすまし」は難しいと聞きますが、やはり本来持つ人格は、簡単に装いを変えられないし、他人の人格を演じきる事は難しいのでしょう。箱に向かい、座禅を組むように己と向き合い、意識が純化されやすいこの空間においては、案外、もしかしたら現実世界以上に隠しきれないその人の本性が現れてしまうのかもしれません。』

実は私は一度、其の「なりすまし」をしようかと思った事がありました。「なりすまし」と言うとあまり良い印象ではないのですが、其の方の書かれる文章を其の方に成り代わって書こうかと思ったのです。其の方の書かれる文章にとても執着している方々がいて、其の方々の為に書いて差し上げたかったのです。ですが、結局は書かずに今に至ります。其の後、執着していた方々も其の執着を手放してしまったようで、もう誰も読みたいと思っていた方の事を思い出す事もなくなったようですから。勿論、本当に忘れてしまったかどうかはわかりません。ただの想像でしかない。私は忘れて欲しくないとは思っていますが、其の方は忘れて欲しいと思っていたかもしれませんね。

其れから「私は全ては何かが見ている夢なのではないかと思うことがあります。そうであればいいのになと本気で思ったりする事もあります。」そう言った私に、やまめさんはこう言って下さいました。

『私は夢を見る事を否定しませんが、夢は現実に戻るからこそ夢の意味があると思います。しかし、人類が滅亡して地球という星が滅んでしまったら、それは地球が見ていた大きな夢という事になるかもしれませんね。』

私のブログにも「夢」という文字があります。私にとって「夢」は特別な言葉であり、とても大切な言葉でもあるのです。夢は夢。現実とは違う。夢は夢だからこそ素晴らしいのだ、と。勿論、現実も素晴らしいのですが、現実の素晴らしさと夢の素晴らしさは全く違うものなのです。私はそう思います。

  

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