Photo: 「無敵の心身」
私もあなたも
「人をdisる人が醜悪な件 - 人生夢オチ」というエントリを読みました。

エントリ内で取り上げられていた方のTwitterを見に行ってみたのですが、取り上げられていた文章は消されてしまったようですね。それでも、誰かがこうやって取り上げて引用してしまっていると、何時までも御自分が発した言葉というものは残ってしまいます。ブックマークでも別の意味で使われている言葉ですが、本当に「恐ろしい」ことです。消してしまったという事は反省しているということなのでしょうか。本意はわかりませんが、何故、御自分が書いた言葉を消されたのか、純粋に知ってみたい、其の方の心の内を。とはいえ、面と向かって聞いてみても答えはないのでしょう、恐らく。或いは、答えて貰ったとしても、本当に本心を語ってくれるという確証はありません。

私も人の死についてエントリを書く事もあり、他人の事は言えない立場です。件の方のように罵倒というものはしてはいないという気持ちはありますが、たとえ罵倒とはいえない文章だとしても、私の書く物で誰も傷つかないという事はあり得ません。今までにも何人も私の書いた物で傷ついた方がいる事実がありますから、私もまた件の方と同じような事をしてきた歴史があるのです。黒歴史というものが。ただ、私は出来る限り削除はしないようにしているつもりです。相手に削除してくれと言われたり、これは相手にとって残していてはまずいなと思うものは削除してきましたが、これも勿論、此処で書き出してからと言っておきます。其れ以前の書き物は現実世界に悪影響を及ぼすかもしれないと判断して削除した事もありましたね、御存じの方もおられると思いますが。

私も醜悪な人間です。其れは恐らく私だけではない。多かれ少なかれ全ての者がそうだと思うのです。そうは思いませんか?
今年の一文字は「辛」
先程、もちもちおねいまんさんのブログに「今年は私にとって辛い一年でした」と書き込んできたのですが、詳しく言えば、辛い一年ではあったのですが、最悪な一年ではなかったのですね。何を持って最悪かは考え方次第でもあるので、私のこの一年も最悪であったとも言えなくもないのでしょうが、今まで生きてきた人生の中ではもっともっと最悪だった時期もあったので、それらに比べたらまだましだったなと今は思うのです。

今年も今日で最後。あまり良くない年が終わったとしても、来年が良い年になるともなかなか信じられなくなる。それほどに私も年を取ったということでしょうか。もう少し若ければ希望も持てたかもしれませんが、今となってはなかなか柔軟な心は取り戻せません。あとはもう心安らかに一日一日を生きていくことができるように何とか自分の心をごまかしていくしかないようです。

ここを訪れてくださる方々の来年が良い年になりますように、心から祈っております。
来年もまた縞瑪瑙と夢の国を何卒宜しくお願い致します。
皆様、良いお年を。
この社会を憂う
先程、はてなのブックマークをつけてコメントをお書きした「ネット雑記。 - ちゃずけのきろく」のことなのですが、似たようなブックマークコメントをつけていたことを「日常雑記。 - ちゃずけのきろく」を読んで気づきました。いけませんね、年を取ると様々な事を忘れていくのですから。笑)

chazukeさんが、悪い事をしている誰かを正義面して晒している人達に対して嫌悪感を露わにしているのを見て、私も似たような気持ちを他の事例で感じたばかりであったので、同じように思う方がいるのだと少し自分に自信を持ちました。もちろん、私は自分が本当に正しいのだと思えない所がありますので、私達のような考えを持つ事を「其れは違う」と否定する方もいることは重々承知もしております。私の事を「非常識な人間」と言い切った方も過去にいたことですしね。

ただ、誰かを何かを糾弾する事は、其れはまるまる自身に返ってくるものなのだという事をわかっていない方々が多いと思うのです。ですから、そうやって、誰が見ても酷い事をなさる人達を、まるで鬼の首を取ったかのように晒すことを平気でしてしまうのでしょうね。御自分がどれだけ品行方正に非の打ちどころなく生きてきたと思っているのでしょうか。そんな人など誰一人いはしないというのに。

ところで、私も知り合いから聞いたのですが、もう齢80過ぎにもなる御老人が高齢者マークをつけずに車の運転をされているとか…余程運転に自信がおありなのかなあと思いましたが、其れでも、重大な事故を引き起こさなければ良いのにと心から祈っております。確かに田舎では車が必要不可欠になってしまう傾向があるのですが、御自分がどうかなるのならまだしも、他人様を巻き込んでしまう事を思うと、とても怖くて運転など出来ないと思うのですが、其れほど社会の高齢化が進んでいるということなのでしょうかね。これでは未来に希望も持てない若者が出て来てしまっても仕方ないのかもしれません。
何時か其の場所で
生きていれば必ず何時か死ぬのが私達人間です。
私も今までに何人も知り合いや親戚を見送ってきました。好きな有名人や作家も。
幼い頃に祖母や祖父を見送った時は、其れほど人の死というものに実感はわかなかったのですが、学校の先生などが亡くなった時にはさすがに死というものを身近に感じたものでした。
その後、仕事に就き、其の職場を辞して新しい職場で働きだした時に、かつて同じ職場で働いていた同僚のうちの何人もが病死をしたと風の便りに聞き、更に感慨深く死を感じたものでした。
そして、今また、今の職場の同僚だった方が亡くなったと聞きました。
ただ、其の方は定年退職をされて今は一緒に仕事をしている方ではなかったので、いまだに昨日まで一緒に顔を突き合わせていた者との死に別れというものは経験した事がありません。
ですが、それでも、其の方との思い出はまだ鮮明に記憶にあり、やはり、訃報を聞いた時には愕然としてしまいました。確かに、其の方が退職されてからの様子をご家族の方から聞き、もしかしたら近いうちにも…という思いもなかったわけではありません。今までとても元気でいらしたご老人が、退職をした為に認知症になってしまわれたり、寝たきりになってしまわれたりするのを幾つも聞いてきたものですから、恐らく其の方も…とどうしても思ってしまうのは致し方ないと思います。
それでも、其の方が辞められてからまだたったの2年と半年ですよ。
あんなに元気だった其の方が、たったの2年と半年で亡くなってしまうとは…今夜は其の方の声や話し方、表情を思い出して夢にまで見てしまいそうですね。

いずれ、私も死にます。
其れは間違いない未来の出来事です。
此れを読んでいる「あなた」も何時か死にます。
其れは避けようがない運命です。
後悔の無いよう生きたいと強く思いました。
外では今風が吹いています。
まだ夏にならないひんやりとした風でした。
其の人は其の風に乗って旅立ってしまわれたのですね。
何時か其の場所に私も逝きます。
ですから、其処で出会う事もあるかもしれません。
其の時は、色々とお話を聞かせて下さいね。
心よりご冥福をお祈り致します。
今年も笑える年に
去年の始まりは、この一年が穏やかに過ぎてくれるか如何かを気にしていたのですが、思いのほか、穏やかに過ぎてくれたので安心して締めくくれました。さて、今年はどうなるでしょうかね。
どう思おうが、起きる事は起きてしまうでしょうし、起きない事は起きないことでしょう。なので、心配するよりは起きてしまってから考えれば良い事なのです。そう思うようにしなければ生きてはいけない。年を追うごとにそう思うようになりました。が、矢張り人間すぐには変われぬものでして、どうしても思い馳せてしまいます。今年も穏やかに過ぎて欲しい、と。

新年一日目に聞かされた家族の暗い話に心を痛めつつ、たとえ何があってもちゃんと生きていこうと、頑張ろうと心に誓わねばと言い聞かせる新年明けとなりました。どうぞ、こんな私ですが、今年も何卒宜しくお願い致します。